「平家物語」にも登場!那須与一ゆかりの那須温泉神社

「平家物語」にも登場!那須与一ゆかりの那須温泉神社

出典:きらきらホームページZ http://akiraul.blog.fc2.com/blog-entry-61.html

【那須温泉神社】とは

上代より温泉名を冠せし神社は、延喜式神名帳(西暦900年代)に十社を数える。

当温泉神社の霊験は国内に名高く,奈良朝時代の貴族の温泉浴のことは正倉院文書によりても明らかである。

従って神位次第に高まり、貞観11年(869年)に従四位上を授けられた。

後世那須余一(与一)宗隆西海に扇の的を射るに当たり,当温泉神社を祈願し名声を轟かして、那須郡の総領となるや領民こぞって温泉神社を勧請し奉り、貞享3年(1686)6月19日正一位に叙せられた。

現在那須郡内に約八十社の温泉神社を数うるのをみればいかにこの地方の信仰を集めていたかが推察される。

御祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)

少彦名命(すくなひこなのみこと)

誉田別命(ほんだわけのみこと)

創建

第三十四代舒明天皇の御代、湯本より南方約八キロメートルの茗荷沢村の住人、狩ノ三郎行広は、小牛ほどの白鹿を追い求め矢傷を負わせてなおも追い続けて雪不尽山(那須岳)の麓、霧生谷(元湯付近)に至った。

濃霧に包まれ白鹿を見失い呆然として佇んでいるとき、岩上に白髪の老翁あらわれ、

「吾は温泉の神なり、汝の求める鹿はかの谷間の温泉に浴しておれり,その温泉は万病をなおして甚だ効あり。鹿の浴するも手負いを癒さんがためなり、汝よろしく之を聞きて万民の病苦を救うべし」

と言い終わりて消え去る。

三郎白鹿を射止め、温泉を発見して神社を建立し歳時の祭礼怠りなく崇敬の誠をつくしたと言う。

これが本神社の創建である。

以降、周辺住民だけでなく朝廷にも崇敬され、天平10年(738年)には朝廷の役人が那須温泉に湯治に訪れ、那須温泉神社に参拝した事が正倉院文書「駿河国正税帳」に、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている。

下野国11社にも名を連ね、現在那須郡内に点在する約80社の総本社にあたる。

中世(鎌倉時代~戦国時代)は那須家の崇敬社となり、那須与一が源平合戦の折、那須温泉神社に戦勝祈願をして見事、扇の的を射て功を上げた話が伝説として残っている。

那須温泉神社の御神託

商売繁昌家内安全病気平癒身体健全縁結び

また、那須与一も祈願したところから必勝祈願の御利益があるといわれる。

出典:那須高原ペンション通信 http://raspberry.exblog.jp/12959420/

那須余一(与一)について

■関東一の大神輿 温泉神社八坂祭

那須余一(与一)は那須地方の豪族である那須太郎資隆の十一男として生れた。十一番、十あまり一で余一と命名。(後に与一に改名)

源義経の東国参陣の時これに従い、以後義経の騎下となって源平戦に参戦。

有名な屋島の戦いで扇の的を射て名声を上げ20万石を頼朝公から賜わる。

那須温泉神社と余一との深いつながりを表すものとして「平家物語」には以下のように記載されている。

『南無八幡大菩薩、別しては吾が国の神明、日光権現宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ給え・・・』と、

凱旋の後その神恩の深いことを謝して、大社殿を寄進してその誠を表した。

その他鏑矢、蟇目矢、征矢、桧扇を奉納し、三の鳥居も余一が奉納したものである。

生没年は、嘉応元年(1169年)?~1189年?とされており(諸説有り)、屋島の戦い(1185年)の際には15~6歳前後。

亡くなったのは20歳前後と推測され、早熟で早逝している。

出典:BeNasu那須高原の歩き方 http://nasukougen.web.fc2.com/jinja/jinja.html

那須温泉神社の見所

■愛宕福神水(あたごふくしんすい)

那須温泉神社の境内社、愛宕神社のふもと、湧水の採水場「愛宕福神水」でお水取りができる。

採水場の隣には、水をかけると水滴の音が琴の様に聞こえる水琴窟(すいきんくつ)がありる。

※入れ物は各自用意。初穂料 1000円

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■境内社 九尾稲荷明神

本殿脇の「金毛九尾の狐」を祀ったお稲荷様。

狛狐のしっぽは九尾に分かれている。九尾稲荷明神の横は崖になっており、高台から殺生石と地蔵群のある「賽の河原」が一望できる。

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■無料足湯「こんばいろの湯」

竹下元総理の秘書が奉納した一の鳥居手前バス停すぐそばにある那須湯元から引いた無料の足湯

『こんばいろ』というのは湯本で『かたくりの花』のことをいい、春にはこの付近いっぱいにかたくりの花が咲くことから命名された。

出典:那須高原ペンション通信 http://raspberry.exblog.jp/12959504/

周辺おすすめスポット【殺生石】さっしょうせき

出典:那須高原ペンション通信 http://raspberry.exblog.jp/13866218/

殺生石(せっしょうせき)は

殺生石は昭和28年1月12日史跡に指定される。

昔中国や印度で美しい女性に化けて世を乱し悪行を重ねていた白面金毛の九尾の狐が今から800年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来。

この妖狐は「玉藻の前」と名乗って朝廷に任え日本の国を亡ぼそうとしたが、時の陰陽師阿部泰成(あべのやすなり)にその正体を見破られて那須野ヶ原へと逃れる。

その後も妖狐は領民や旅人に危害を加え、朝廷では三浦義明・上総広常の両名に命じ遂にこれを退治した。

ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害をあたえたのでこれを「殺生石」と呼び近寄ることを禁じていたが、今津示現寺の開祖源翁(げんのう)和尚が石にこもる狐のうらみを封じようやく毒気も少なくなったと語り伝えられている。

ただし、現在でもガスの排出量が多い場合は立ち入りが規制される。

芭蕉は元禄2年(1689年)4月18日奥の細道紀行の途中、この殺生石を訪れ

「石の香や 夏草あかく 露あつし」と詠んでいる。

※弟子の曾良作との説有

出典:東京わき見散歩地図 https://tokyo-sampo.com/archives/1041

所在地

〒325-0301

栃木県那須郡那須町湯本

連絡先

0287-76-2619(那須観光協会)

アクセス

那須温泉神社から徒歩約6分(450m)

JR黒磯駅→東野交通バス那須湯本行きで35分、バス停:那須湯本下車、徒歩3分

東北道那須ICから県道17号経由15km20分

【那須温泉神社】へのアクセス

所在地

〒325-0301

栃木県那須郡那須町大字湯本182

お問い合わせ先

TEL:0287-76-2306

交通機関

【公共交通機関のご利用】

JR黒磯駅下車 東野交通バス那須湯本行き約35分

那須湯本バス停より徒歩約1分

【自動車のご利用】

東北自動車道那須インター下車 那須湯本方面約30分

ホームページ

http://nasu-yuzen.jp/

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