パワースポット!御柱を建てない神社「守屋神社」を紹介 | 全国パワースポット案内所
目次
物部氏ゆかりの【守屋神社】とは
守屋神社(物部守屋神社)は、守屋山(もりやさん)山頂の奥宮と山麓の国道256号沿いにある里宮の総称。
守屋神社の里宮は茅野市と伊那市を繋ぐ杖突峠(つえつきとうげ)にあり、東峰への登山道が続いている。
もともと雨乞い祈願の山として崇められてきた。
諏訪地域の神社としては珍しく御柱を建てない神社となっている。
御由緒
「1400年前、蘇我氏との戦いに敗れて逃げてきた物部守屋の一族が創建した」と伝えられている。
諏訪大社の南側にある守屋山の東峰に建つ神社。
御祭神
物部守屋大連大神(もののべもりやおおむらじのおおかみ)
物部守屋(生年不詳~587年)は古墳時代の大連、王朝の最高執政官。
※大連・・・古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の1つ。大王(天皇)の補佐として執政を行った。姓(かばね)の一つである連(むらじ)の中でも軍事を司る伴造(豪族)出身の有力氏族である大伴氏と物部氏が大連となった。
物部氏は、天皇家を除いて「天孫降臨」「国見」の逸話をもつ唯一の氏族で、守屋の父は物部尾輿(もののべのおこし)、母は弓削(ゆげ)の連の祖・倭古の娘(阿佐姫)である。
物部氏は軍事部族と云われる有力豪族で、廃仏派の物部守屋は仏教受容問題及び皇位継承問題で、崇仏派の蘇我氏と激しく対立していた。
用明天皇2年(587年)に勃発した丁未の乱((ていびのらん)/物部守屋の変)において、厩戸皇子(うまやどのおうじ:後の聖徳太子)と大臣蘇我馬子率いる追討軍に物部主家は攻め滅ぼされた。
この後、物部氏は衰退した。
創建
不詳
ご利益
雨乞い祈願
見どころ
奥宮
守屋山周辺の村々は、日照りが続くと守屋山に登り雨乞いをしたという。
その効果が現れないときは、祠に小便をかけたり、祠を谷に突き落とすことまでしたとそうで、早い話が「嫌がらせ」で、これには祭神の守屋大臣も怒って、たちまちにして雨を降らせたと伝えられている。
奥宮が柵で囲ってあるのはそれを防ぐためだとされる。
平成の世になっても雨乞いは続けられ、平成14年(2002年)8月中旬には、「上伊那郡箕輪町は、町長を始め役場職員ら7名が雨乞いに登った」と新聞記事は伝えている。
アクセス
所在地
〒396-0301 長野県伊那市高遠町藤澤
交通機関
【自動車のご利用】
諏訪ICから約32km、車で30分程度。
ホームページ
公式ホームページ無し
マップ
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