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連合国軍総司令部(GHQ)に視察された論社【中氷川神社】とは

連合国軍総司令部(GHQ)に視察された論社【中氷川神社】とは | 全国パワースポット案内所

出典:みい@御朱印 https://ameblo.jp/end-0625/entry-12230902987.html

目次

連合国軍総司令部(GHQ)に視察された論社【中氷川神社】とは

所沢市山口にある神社で、足立郡大宮の氷川神社と西多摩郡氷川村の上氷川神社との中間に鎮座することから中氷川神社と称されるようになったといい、「延喜式」式内社の中氷川社に比定されると云う。(所沢市三ケ島の中氷川神社とする説も有り)

終戦直後の昭和20年(1945年)11月25日、当社の臨時例大祭 新嘗祭(にいなめさい)をGHQの教育・宗教を所管した民間情報教育局(CIE)局長であったケン・ダイク准将が視察している。

既に、CIEは神道に対する日本人の考え方を知ろうと靖国神社(東京)を視察していた。

そして、更に、ダイク准将は「民間の神社の祭りをみたい」という希望を提出。

当社に視察の白羽の矢が立った。

新嘗祭で、宮内省の楽人の演奏と立派な装束の娘たちの奉納舞を見物した民間情報教育局一行は、「日本の神道を認識し直し、民衆の神社信仰を見直した」と云われている。

同年12月15日『神道指令』がGHQより出され、国家神道としての神社のあり方は改められたが、国民生活に根付いた神社の存在は否定されることはなかった。

当社は、戦後の神社界で非常に大きな意味合いを担った神社である。

御祭神

素戔嗚命(すさのおのみこと)

稲田姫命(いなだひめのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)

七社大神(山口貯水池の湖底に埋もれた旧勝楽寺村(朝鮮半島より日本に渡来した百済・高麗人の居住した地)鎮座の七社神社を合祀)

創建

伝 紀元前1世紀

出典:みい@御朱印 https://ameblo.jp/end-0625/entry-12230902987.html

御由緒

創建は、不祥ながら、崇神天皇御代(紀元前97年~紀元前29年)と伝わる。

入間・多摩二郡にまたがる92村の総鎮守とし、山口城主にも尊崇され、地元では古くから「氷川様」と親しまれてきた。

天正19年(1591年)徳川家康より社領四石三斗余の御朱印状を拝領、明治5年(1872年)に村社に列格した。

明治40年(1907年)に上山口・山口内の諸社を合祀、大正9年(1920年)郷社に列格、昭和4年(1929年)に山口貯水池建設のため大字勝楽寺字大坊の七社神社(七社権現)を合祀、昭和12年(1937年)県社に列格する。

中氷川神社の御利益

厄除開運、良縁縁結び、子授け安産、農商工業の繁栄

出典:山口企画設計のスタッフブログ http://lh-blog.lh-style.net/e277.html

【中氷川神社】へのアクセス

所在地

埼玉県所沢市山口1849番地

お問い合わせ先

TEL:04-2922-8888

交通機関

【公共交通機関のご利用】

  • 西武狭山線・下山口駅下車 徒歩15分
  • ところバス南路線(山口循環コース)『中氷川神社』停留所

ところバス:http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/kurashi/dourokoutsuu/tokorobus/index.html

【自動車のご利用】

  • 金山町交差点から約10分
  • 小手指ヶ原交差点から約10分

ホームページ

http://www.nakahikawa.or.jp/

マップ


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