パワースポット!世界文化遺産「河口浅間神社」を紹介! | 全国パワースポット案内所
目次
世界文化遺産【河口浅間神社】とは
山梨県南都留郡富士河口湖町河口にある神社。
式内社(名神大社)論社で、旧社格は県社。
全国にある浅間神社の1つ。
「河口浅間神社」は通称で、正式名は「浅間神社」。
富士山の北麓で御坂山地を背負い、河口湖越しに富士山と対峙して鎮座する。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火鎮祭のため、貞観7年(865年)に浅間大神<あさまおおかみ>をお祀りしたのが河口浅間神社の始まりとされています。御祭神は木花開耶姫命<このはなさくやひめのみこと>です。
現在の本殿は1606年(慶長11年)に焼失し、翌年の1607年(慶長12年)に再建されたといわれています。
河口の地域は、歴史も古く、富士山登拝が大衆化した中世後半から江戸時代まで御師<おし>集落として発展しました。
現在でも富士山と深い関係のあるお祭り、御神楽祭<おだいだいまつり>、いわゆる稚児の舞<ちごのまい>の祭典が行われています。
また境内には、山梨県の天然記念物に指定されている「七本杉」が立ち並んでいます。
御由緒
貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火鎮祭のため、貞観7年(865年)に浅間神を奉斎したのが始まりといわれる。
『日本三代実録』によると、富士山の貞観大噴火が始まって大被害が発生し、噴火による溶岩流で広大な剗の海(せのうみ/9世紀半ばまで日本の富士山北麓にあった湖)が埋没したという。
そしてこれが駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)の祭祀怠慢とされ、甲斐国でも浅間神を祭祀するべきこととなった。
翌貞観7年(865年)、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られ官社に列したと記す。
また、平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として「甲斐国八代郡 浅間神社」の記載がある。
御祭神
浅間大神 (あさまおおかみ)
神社側では木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を指すとする。
なお社記によれば、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと/木花開耶姫命の夫神)・大山祇神(おおやまづみのかみ/木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀るとする伝えもある
創建
貞観7年(865年)
ご利益
子孫繁栄、縁結び
見どころ
御神木
縁結びの二本杉、「父母(ふたはしら)」を含めて全部で七本の杉が御神木としてあがめられている。
すべて樹齢1200年以上の杉の木で、昭和33年(1958年)山梨県の天然記念物に指定されている。
美麗石(ひいらいし)
浅間明神を初めて祀った古代祭祀の石閣の残欠。
母の白滝
滝の手前に「母の白滝神社」があり、こちらには当社のご祭神、木花咲耶姫命の母親である栲幡千千姫命(たくはなちぢひめのみこと)が祀られている。
平安時代より富士登山者は村の宿坊に泊まり、この滝で身を浄め、当社で稚児の舞を奉納して登山の安全を祈願した。
波多志社(はたししゃ)
浅間大神からの「吾を当地に祀れ」との神宣を受け、朝廷に上奏して当社を造営し、当社初代 祝(はふり/神に奉仕することを職とする者)となった伴直真貞(とものあたいまさだ)が祀られている。
伴直真貞の出自は不詳だが、説によれば渡来氏族・秦氏に連なる人物で、社名の波多志とは秦氏を意味するともいわれている。
アクセス
所在地
〒401-0304 山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
お問い合わせ先
TEL:0555‐76‐7186
交通機関
【公共交通機関のご利用】
富士急行線「河口湖駅」から富士急バスの「甲府行き」または「芦川農産物直売所行き」に乗り河口局前バス停下車徒歩1分
○ループバス 富士急富士山世界遺産ループバス に乗り「河口浅間神社」下車
【自動車のご利用】
中央自動車道 河口湖ICから車で約10分
ホームページ
http://www.asamajinja.or.jp/
マップ
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