パワースポット!縁結びで有名な「能登國一宮・氣多大社」 | 全国パワースポット案内所
目次
創建二千年もの歴史を持つ能登一宮【氣多大社】とは
延喜式神名帳に、『能登国羽咋郡 氣多神社 名神大』とある式内社で、能登国一の宮。
社名は“ケタ”と読む。
JR七尾線・羽咋駅の北北西約4km強、能登半島の西岸沿いに走る国道246号線を羽咋駅から北上、一の宮の集落にあるバス停・気多大社前から北へ進んだ先に鎮座する。
奈良に都があった時代から北陸の大社として朝廷からの尊崇も厚く、文献に最初に登場するのは、大伴家持が能登を巡行したときに「之乎路(しをぢ)から直超え(ただこえ)来れば羽咋(はくい)の海 朝凪ぎ(あさなぎ)したり船楫(かぢ)もがも」と詠んだ歌が収められた「万葉集」というほどの格式をもつ「氣多大社」。
能登国となってからも歴代の領主からの手厚い保護により社領の寄進や社殿の造営などがなされた。
現在では、氣多大社の名から「氣」が多く集まる神社と言われており、また、氣多大社の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社では大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)といわれる縁結びの神様であることから、縁結びスポットとしても有名で全国から多くの人が訪れている。
御由緒
社伝(『気多神社縁起』)によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという。
また『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子とし、能登半島一体を巡行して鬼神を追放したと記される。
『気多社祭儀録』では、祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される。
一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現・気多本宮、位置)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる。
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
創建
(伝)第8代孝元天皇(BC214年~BC158年)または第10代崇神天皇年間(BC97年~BC30年)
ご利益
国造りの神、農業神、商業神、医療神
見どころ
鵜祭(うまつり)
12月16日に行われる古式な祭。
大己貴命が高志の北島から鹿島郡の新門島に着いた時、この地の御門主比古神が鵜を献上したのが始まりとされる。
献上された海鵜は「鵜様」として拝殿に放される。
宮司はそれを内陣に行くよう図るがその時の鵜の進み具合によって翌年の作物の豊凶を占う。
進み方が芳しくない時は神楽や御祓いを行う。
鵜が内陣の机の上にとまったら神官はそれを捕まえて、浜で放す。
なお、鵜祭までに鵜が捕らえられなかった年には鵜祭は開催されず、捕獲できなかった旨を伝える報告祭が執り行われる。
ついたち結び
毎月1日に行なわれるついたち結びは、無料でお祓いや占いを受けることができるとあって、県内外から多くの女性が参加している。
当日8時30分までに受け付けした先着100名のみが気多大社の拝殿で行なう月次祭に参加できる。
この月次祭では巫女舞や神楽、祝詞を見た後に玉串を奉納し、エネルギーが強い「入らずの森」に向かい参拝後、無料占いやお祓いをしてもらえる。
気麗むすびどころ
日本で唯一の縁結び専用の祈願所。
ご利益を感じさせるようなハート形の絵馬に願い事を書き、特別なお祓いを受けられる。
お祓い後、入らずの森の近くにある「むすび神苑」と彫られた石の上に小石を乗せると幸せが訪れていると言われている。
入らずの森
境内裏手には、原生林の社叢が広がっている。
「入らずの森」として立ち入りは禁止されている。
社叢内には、一般の参拝はできないが奥宮とともに3基の円墳があるという。
約3万方メートルの広さの中にタブの木はじめツバキ、シイ、クスノキ、カラタチなどの常緑広葉樹が密生し、樹齢百年をこえる木が林立している。
国の天然記念物に指定されている。
※「斧入らぬみやしろの森」とは。
昭和58年(1983年)5月、全国植樹祭に御来県の昭和天皇が本社に行幸され、この「入らずの森」にお踏み入りになり『斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり』と御製をお詠みなられた。
アクセス
所在地
〒925-0003 石川県羽咋市寺家町ク1−1
お問い合わせ先
TEL:0767‐22‐0602
交通機関
【公共交通機関のご利用】
■東京-羽咋(3時間10分)
東京→北陸新幹線→金沢→七尾線→羽咋
■大阪-羽咋(3時間20分)
大阪→特急サンダーバード・雷鳥→金沢→七尾線→羽咋
■名古屋-羽咋(3時間30分)
名古屋→特急しらさぎ→金沢→七尾線→羽咋
【自動車のご利用】
■東京-羽咋(7時間)
関越自動車道→北陸自動車道→のと里山海道:柳田I.C.
■大阪-羽咋(4時間30分)
名神高速→北陸自動車道→のと里山海道:柳田I.C.
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