国の重要文化財に指定!123年創建の古社【出雲伊波比神社】とは | 全国パワースポット案内所
出典:みい@御朱印 https://ameblo.jp/end-0625/entry-12227565228.html
目次
123年創建の古社【出雲伊波比神社】とは
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定を終えた際に立ち寄られ、目的を達成できたことを喜び、父の景行(けいこう)天皇から賜った“比々羅木の鉾(ひいらぎのほこ)”をご神宝とし、侍臣・武日命(たけひのみこと/大伴武日)に命じて社殿を建立したのが始まりとされ、その鉾の先は現在も東北を指していると云われる。
御祭神
大己貴命/大穴牟遅神(おおなむち) ※[別称]大国主命
天穂日命(あまのほひ)
品陀和氣命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう)
息長帯比売命(おきながたらしひめ) ※[別名]神功皇后(じんぐうこうごう)
創建
景行天皇53年(123年)社伝(『臥龍山宮伝記』)
御由緒
毛呂山町のほぼ中央、小高い独立丘陵である臥龍山(がりゅうざん)の上に位置する古社。
神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によると、景行天皇の53年(123年)に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征を成し遂げ、凱旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命(おおなむちのみこと)をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命(えたもひのみこと)が、出雲の天穂日命(あめのほひのみこと)をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神社としたとされている。
現在の本殿は大永7年(1527年)の焼失後、翌、亨祿元年(1528年)に再建されたもので一間社流造、県内最古の神社建築であり、棟札二面と併せて国の重要文化財に指定されている。
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出雲伊波比神社の御利益
商売繁盛、良縁祈願、交通安全、旅行安全、殖産振興、出世開運、武勇長久 他
出雲伊波比神社の流鏑馬(やぶさめ)
鎌倉時代以降、武士の信仰も厚く、源頼義、義家父子は奥州平定を祈願し、凱旋した康平6年(1063年)に八幡社を建立し、流鏑馬を奉納し、3代将軍徳川家光が社殿を修理するなど、徳川幕府の庇護も厚かったという。
中世から江戸期にかけて飛来明神(毛呂明神)と称し、明治維新により古来の出雲伊波比神社に改称したといわれている。
以前、埼玉県内各地で行われていた流鏑馬も、毎年奉納されるのは県下では当社だけで、流鏑馬神事は昭和33年(1958年)に県の選択無形民族文化財に指定されている。
現在では春秋の2回開催され、春は「稚児流鏑馬」で、7歳未満の男児を乗馬させ、1度だけ矢を射る儀式(願的)をおこない、秋の例祭(11月3日)は、本格的な騎射(夕的)が実施される「武者流鏑馬」で、15歳程度の少年が乗り子を務める。
一の馬・二の馬・三の馬に別れ、白(源氏)・紫(藤原氏)・赤(平氏)に色分けし奉納される。
2016年10月16日、リオデジャネイロ五輪の競泳男子400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した瀬戸大也選手が、出身地の埼玉県毛呂山町の当社で、メダル獲得を町民に報告するイベントの一環として同町伝統の流鏑馬に挑戦している。
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猫神社
一部のSNS等で猫の聖地のように言われているが、実際はこの地に捨てられた猫が自然繁殖しているだけで、神社側は認めていない。
ボランティアの協力で去勢手術も施しているが、心無い人間による遺棄が後を立たないため猫が増え続けている。
餌やりは、神社及び毛呂山町が禁止している。
出典:神社ときどき猫 http://yasucom.hateblo.jp/entry/2016/12/07/203954
【出雲伊波比神社】へのアクセス
所在地
〒350-0465 埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5丁目17‐1
交通機関
【公共交通機関のご利用】
JR八高線毛呂駅から徒歩5分。
東武越生線東毛呂駅から徒歩10分
【自動車のご利用】
関越高速道「鶴ヶ島I.C.」または首都圏中央連絡自動車道圏央「鶴ヶ島I.C.」より車で約15分
ホームページ
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1285113266909/
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