パワースポット!日本3大木造大鳥居の一つ「氣比神宮」を紹介 | 全国パワースポット案内所
目次
北陸道の総鎮守【氣比神宮】とは
市民に「けいさん」の愛称で親しまれる氣比神宮は、大宝2年(702年)の建立と伝えられている。
7柱のご祭神をまつる北陸道の総鎮守。
高さ約11mの大鳥居(国指定重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本3大木造大鳥居の一つ。
木造両部型本朱漆、寛永年間旧神領地 佐度国鳥居ケ原から伐採奉納した榁樹(むろのき)で、正保2年(1646年)に建立された。
正面の扁額は有栖川宮威仁(ありすがわのみや たけひと)親王の筆によるもの。
元禄2年(1689年)旧暦8月(現在の9月終わり頃)には松尾芭蕉が訪れたと伝えられ、境内には松尾芭蕉の像と句碑がある。
御祭神
<本殿(本宮)>
伊奢沙別命(いざさわけのみこと) – 主祭神。「気比大神」または「御食津大神」とも称される。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) – 第14代天皇。
神功皇后(じんぐうこうごう) – 仲哀天皇の皇后。
<四社の宮>
東殿宮:日本武尊(やまとたけるのみこと)
総社宮:応神天皇(おうじんてんのう) – 第15代天皇。
平殿宮:玉姫命(たまひめのみこと、玉妃命) – 『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とする。
西殿宮:武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
創建
大宝2年(702年)
ご利益
衣食住・海上安全・農漁業・交通安全・無病息災・延命長寿・武運長久・安産・音楽舞踊など
見どころ
神水苑
敦賀は名水湧出の地で、特に境内は水脈の中心に位置し江戸時代に当宮の亀池は「日本庭園歴覧」に記された名池でもあった。
明治42年(1909年)東宮殿下(大正天皇)御参拝のお茶の水に用いられた一井がその由来を語る。
昭和の大造営で亀の池を改修、滝のある神水苑を整備しお水取りの参詣者で現在もにぎわっている。
長名水(ちょうめいすい)
大宝2年(702年)、氣比神宮はそれまで伊奢沙別命1柱を祀る神社であったが、文武天皇の命より仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命が合祀された。
その際、神宮を修営したが、突然として地下水が噴出した。
この地下水が祀られた神々の御神徳が宿る神水として1300年以上の長きに亘り信仰されている。
長名水と名付けられ、近年ではパワースポットとして多くの参詣者がここを訪れ、境内名所の一つとなっている。
角鹿神社(つぬがじんじゃ)
「日本書記」には崇神(すじん)朝の出来事として、朝鮮半島の大加羅国の貴人で、額に角があったという都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと/別名:于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき))の来敦が描かれている。
都怒我阿羅斯等は地名の由来ともされ、敦賀が大陸との交流の要地であったことを象徴的に物語っている。
角鹿神社はこの都怒我阿羅斯等を祭神とし、都怒我阿羅斯等は地域首長である角鹿国造家の祖ともされ、後に角鹿氏の社家が、京都に在住する大宮司に代わって気比社の社務を担ったことから同社は政所神(まんどころのかみ)とも呼ばれた。
往古東門口が表通であったため氣比神宮本社の門神と云われる。
ユーカリの木(市指定天然記念物)
昭和11年(1936年)、陸軍の関係者が武運を祈願して献木したと伝えられている。
衛戍(えいじゅ)病院跡地である国立病院機構福井病院にも同時期に植えられており、ともに敦賀市の天然記念物に指定されている。
昭和58年(1983年)4月1日指定。
松尾芭蕉像・句碑
『奥の細道』の道中で、松尾芭蕉は現在の福井県敦賀市を訪れている。
その理由は旅の目的の一つである美しい月の姿を句に詠むためで、敦賀では特に、“中秋の名月”を心待ちにしていた。
1689年(元禄2年)旧暦の8月14日の夕方、快晴の敦賀に入り、宿の旅籠出雲屋の主人に、明日も晴れるかどうかを問うと、出雲屋の主人は、北陸の天気は変わりやすく明日は晴れるか分からないと言われ、芭蕉はその夜に「氣比神宮」に参拝する。
月明かりに照らされた神前の白砂とその由来に感動し、「月清し遊行のもてる砂の上」と詠んだ。
芭蕉像と句碑は社務所の横にたてられた。
アクセス
所在地
〒914-0075 福井県敦賀市曙町11‐68
お問い合わせ先
TEL:(0770)‐22‐0794
交通機関
【公共交通機関のご利用】
JR北陸本線「敦賀駅」下車 徒歩約15分 又は駅前よりバスにて約5分
「福鉄バス」「コミュニティバスはぎ号」「ぐるっと敦賀周遊バス」のいずれかで「氣比神宮前」停留所で下車。
【自動車のご利用】
北陸自動車道「敦賀IC」より約10分 ※駐車場無料(100台)[大鳥居わき・境内東]
ホームページ
https://kehijingu.jp/
マップ
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