パワースポット!菅生天神・敷地天神と呼ばれる「菅生石部神社」 | 全国パワースポット案内所
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しきぢ天神【菅生石部神社】とは
加賀二宮として古来より信仰を集め、平安時代には縁起式内社として朝廷からも崇められ、以後、この地を治めた時の為政者からも篤い信仰を受けていた。
拝殿の前に「牛の像」があるのは、中世頃この一帯は北野天満宮の社領で福田の庄と呼ばれていたことから、天神信仰が盛んであった為で、当社が菅生天神・敷地天神と呼ばれる由縁である。
京都の「敷地神社(しきぢじんじゃ/わら天神)」は、当社から勧請された。
2月10日の『御願神事』(ごんがんしんじ/竹割祭り)や、7月24日~26日の『天神講』で奉納される稚児舞『蝶の舞』は、いずれも石川県指定無形文化財。
御由緒
疫病が流行しそれを鎮めるため敏達(びだつ)天皇の願いにより、当社は弟の用明天皇が用明天皇元年(585年)に禁裏(きんり=皇居の中)で祀っていた神々(現 菅生石部神)を当地にお遷しになり、あわせて五穀の豊穣を祈願したことにはじまる。
伏見天皇(1287~1298)の頃より正親天皇(1557~1586)の頃まで春秋年2回の居入祭(おりいさい)に朝廷より御衣・神宝のお供えがあるなど崇敬篤く、木曾義仲・冨樫昌家・足利義持・豊臣秀吉・山口玄蕃ら公家や武将からの尊崇が篤かった。
前田藩においては氏神として神地寄進社殿造営調度の修復等が絶えず、夏祭天神講を藩祭とし、三日間の中の日を仕事休めの日として、藩内に住む人々全てを参拝させ崇敬の誠を捧げたという。
現在、居入祭に遅れた際の詫状や皇子ご降誕の祈祷礼状が残っている。
御祭神
菅生石部神・・・下記三柱の総称(異説として少彦名神(すくなびこなのかみ))
- 日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと/山幸彦(やまさちひこ)
- 豊玉毘賣命(とよたまびめのみこと/日子穂穂出見命の妃姫、神武天皇(初代天皇)の祖母)
- 鵜葺草葺不含命(うがやふきあえずのみこと/日子穂穂出見命と豊玉毘賣命の子))
創建
用明天皇元年(585年)
ご利益
病気平癒・身体健康・安産・学業成就・武運守護
見どころ
神門
文政7年(1824年)起工、翌9年落成した。
設計者は、建仁寺流の名工 山上善右衛門嘉広の系統で、七代目の善右衛門吉順と伝える。
総欅(けやき)造唐様の楼門で、軒は扇垂水とし、天井は碁組となっている。
大聖寺藩主を始め有力町人や各階層の人々の寄進によるもので、大聖寺・加賀両藩の大工棟梁を動員して造立されたということが棟礼に記されている。
昭和5年修理の際、屋根が桟瓦葺から銅板葺となったが、全体に保存状態が良好である。
加賀市指定文化財 指定年月日:昭和51年(1976年)7月19日
御願神事
白鳳5年(676年)天武天皇によって始められたと伝わり神事。
現在、石川県無形民俗文化財の指定を受け、毎年2月10日に行われる例祭(竹割祭り)として続いている。
午前11時より、幣殿において宮司による祝詞奏上の後、境外の鳥居前に待機していた青年・壮年数十人が白衣・白短袴姿で境内に突入し、炎々と燃える御神火を潜り、2m余の青竹を境内境外問わず激しく地面に打ち叩く。
続いて拝殿より長さ20m、太さ30cmもある大蛇に擬した長縄を引きずり出し、境内境外を引き回した末に敷地橋上より大聖寺川に投げ入れる。
神事に用いられた竹は、
- 天井裏に置くと雷避けになる
- 玄関先に置くと魔除けになる
- 箸にすれば身体健康、病気平癒、虫歯予防になる。
そのほかにも大縄の藁を魚編みに結ぶと豊漁になる等、様々な言い伝えがある他、この神事に用いられた竹や大縄には、悪事災難を除き、疾病を免れる霊験があるという。
アクセス
所在地
〒〒922-0011 石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
お問い合わせ先
TEL:0761-72-0412
交通機関
【公共交通機関のご利用】
- JR北陸線 加賀温泉駅よりタクシーで5分
- JR北陸線 大聖寺駅よりタクシーで5分
【自動車のご利用】
- 北陸自動車道 片山津ICより約10分
- 北陸自動車道 加賀ICより約10分 ※駐車場有
ホームページ
http://tenjin.or.tv/
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