パワースポット!神行事には欠かせない神聖な神具「麻」について | 全国パワースポット案内所
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目次
神社の神行事には欠かせない神聖な神具「麻」!大麻とは
この漢字には、色々な読み方があります。
『タイマ、オオアサ、オオグサ』など。
麻は神社の神行事には欠かせない神聖な神具であり、また、古代の日本人は勿論の事、委人(ヤマトジン)も、麻と共に歴史を歩んで来ました。
麻とはなんなのか?
そして神社と麻の関係に付いて迫ります。
先ずは、基本事項から入ります。
同じなのに、こんな違う大痲(タイマ)と大蔴(おおあさ)
オオアサとタイマは同じ漢字の大麻を使っていますが、旧字体を調べますと、微妙に違う漢字を使っている事がわかります。
その結果、以下の漢字が本来の正しい漢字の使い方ではないのかと、推測されます。(※これは、ライターの持論であり、明確な資料を得てはいません)
- オオアサ=大蔴
- タイマ =大痲
いかがですか?
似ている様で、違う漢字を使っています。
因みにオオグサ、またはオオヌサと呼ばれていますが、『大幣』と書くのが正しいです。
- 『蔴(アサ)』は麻の本来の旧字体であり。
- 『痲(マ)』は、しびれると、かくので、痲薬の旧字体となるわけです。
更にこれらは同じ植物を意味しており、ややこしいですが、育て方により、使用目的等が変わって来ます。
茎を切り、高さを低く育てると、薬、大痲(タイマ)と呼ばれるものになります。
更には、暗い所で栽培する事が求められます。
これがマリファナと呼ばれるモノに当たります。
そして、麻を高く約3mぐらいまで育てた麻を大蔴(おおあさ)と呼ぶと思われ、紙や繊維、布などになります。
俗に言う「産業用タイマ」になります。
これが神社でよく見かけるお札の紙や注連縄(シメナワ)、などに製造されます。
大蔴の力により結界を張る力を持つ注連縄の起源
http://tamabi.ac.jp/kankyou/kishimoto/landscape/landscape_018.htm
注連縄の起源は、『天岩戸伝説』で布刀玉命(フトダマのミコト)が天岩戸に注連縄で結界を張ったとあり。
神社の注連縄の起源になったとされいます。
では、何故、そうなるのか?
ここでは、霊的な力やそういう解説は、無視して、もっと科学的に。
麻と言う植物の特性を解説しますと、注連縄の素材である。
麻は動物にとっては毒であり、鹿や猪は注連縄をたべないのです。
もちろん虫も食べない。
だから、滅多に腐らないし、魔除けの効果があるのです。
魔除けのある注連縄やお札が鹿や猪に食べられては、愉快な笑い鼻しになってしまいます。
日本全国に残る麻の地名
日本全国の地名を眺めていますと、麻の地名がある事に気付きます。
これは昔、その地域に麻を多く植えて麻を栽培して産業にしていた事に由来します。
日本では主に、俗に言う産業タイマ即ち、大蔴を生業にしていていました。
なお現代では、麻に対する法律がややこしいので、ここでは割愛します。
様は、薬としての大痲はダメだけど、お札の紙や神衣(カムイ)の繊維としての大蔴を良いと言う考えで良いです。
阿波忌部が広めた大蔴
https://www.all-iwami.com/spot/detail_1039.html
いにしえの時代より残る、現在にも残るロングセラーヒットアイテムは、阿波忌部等が日本全国に広めました。
例えば、島根県の「大麻山神社(タイマサン神社)」の由来には以下の由緒書きがあります。
当山は天平年中(七二一~七八一)双子山と呼んで いた。
仁和四年(八八八)御神託により大麻山と改め、 朝廷に奉聞す。
寛平元年(八八九)阿波国(徳島県) 板野郡大麻山鎮座の大神を勧請し、宇多天皇の勅許に より社殿を建立す。
御祭神 天日鷲命・猿田彦命・大麻彦命(太玉命)。
蔵王權現・熊野權現・走湯權現・山王権現・白山權現
いつのほどにか、五社権現と呼ばれるようになった。
また、千葉県の安房も麻の種を持って、黒潮に乗って伝え、更には、北へ、栃木県へ行き、粟野町という日本一の大麻生産地域を築き上げました。
他にも、阿波忌部の開拓快進撃は、他県の、アサ、麻、と付く地名には阿波忌部の名残があります。
その経緯は、数多くのドラマがありました。
しかし、そういうのを乗り越えて、大蔴は今でも法律の壁にはばまれながらもちゃんと残っています。
歴代の天皇陛下が即位するのに必ず求めた阿波忌部三木家の麁服
https://ameblo.jp/kamisamano-ouchi/entry-12453314180.html
さて、『国指定重要文化財「三木家住宅」と大嘗祭「麁服」』の記事でも書きましたが、ここでは、歴代の天皇陛下が皇太子殿下から天皇陛下に即位するのに大嘗祭、正式名称、践祚大嘗祭をするのに当たり、必ず必要とした阿波忌部三木家の麁服による調進をいかに必要としたのかを記載してあります。
阿波忌部の祖、天日鷲神は弓矢の元祖
また、阿波忌部の祖でもある天日鷲神は弓矢の祖でもある。
標高552mもある山奥にある徳島県美馬市木屋平で育った大蔴はとても良く、高い標高により寒いので大蔴の細胞が締まり、完全に成長しきる前に早く、刈り取りられます。
ここ育った大蔴は、とても良く、他の地域で育った大蔴よりも土地の気候や条件が大蔴にピッタリなのです。
そのため昔、弓矢の弦で、阿波の麻は「普通の麻で作った弦は直ぐに切れてしまうが、阿波の麻、特に三木家の麻は丈夫で切れず、遠くまで飛ぶ」と言われているぐらい、阿波忌部の麻はとても良いと語られた記録があります。
神社による麻の使用頻度はとても高く、大蔴が神社には欠かせない神具の素材であり、古代日本の産業を如何にして支えてきたのかが神社で奉られている理由が頷けます。
縄文時代の言葉の元になった縄文土器。それじゃ、その縄文とは?
多くの人が縄文土器の模様はただ、縄を製作中で土器に縄を転がしている様な原始的なイメージを持たれており、その縄が藁(わら)や茅(かや)を使用されているとおもわれています。
しかし、本当はそうではありません。
ここまで、来るともうおわかりですね。
そう。
縄文土器の縄の正体は、『大蔴の縄』だったのです。
これなら、その時代の人がどうして土器に縄の模様をたくさん遺したのか?おわかりになると思われます。
まさに麻は日本最古の産業、ロングセラーです。
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