パワースポット!霊峰富士二合目が創祀の「冨士御室浅間神社」を紹介 | 全国パワースポット案内所
目次
霊峰富士二合目が創祀の【冨士御室浅間神社】とは
文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建されたと伝えられる。
社名の「御室」は、かつて祭祀の際、石柱をめぐらせた中で執り行っていたことによるものである。
天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建された。
中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展した。
戦国時代には甲斐武田氏の崇敬を受けた。
現在の社殿は、明治22年(1889年)に再建されたものである。
別当を務めていた小佐野越後守は、戦国時代に小山田氏より境域の尊厳を取り立てさせ、諸役免許や山中警護役を免許されている。
また武田氏より他国の浅間神社を管轄することを任されている。
なお、小佐野越後守は個人名ではなく代々引き継いでいる名前である。
御祭神
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻となり、火の中で皇子を出産したという故事から、良縁・子宝・安産・火防の御神徳が特に有名な富士山の女神である。
また火山を鎮める水の女神ともされ、富士の豊富な湧水が多くの恵みをもたらした事から、流通、繁栄の神としても崇敬を集めている。
創建
伝 文武帝3年(699年)
見どころ
奥宮
富士山中の重要な信仰拠点であった奥宮は富士山二合目に位置する。
富士山二合目は海抜1700メートルという高所にあり、富士山中にも関わらず、境内の平地は屋根の尖端を人為的に開削したものと思われ、ここが富士山中の重要な信仰拠点であったことがうかがえる。
当社は、文武帝3年(699年)に創建されたと伝えられている。
その後、和銅1年(708年)に祭場の形を造り、養老4年(720年)、大同2年(807年)に雨屋、社殿を造ったが、富士噴火のため焼失したといわれている。
現在の本宮本殿は永久保護のため里宮地に遷座しているが、拝殿は当時のままである。
平成23年(2011年)2月、河口湖畔に位置する里宮社境内地と共に、富士山世界文化構成施設『史跡富士山』に登録された。
本宮
富士山最古の社。
699年(文武天皇の御世)藤原義忠公が霊山富士二合目へ奉斉。
722年(養老4年)雨屋建立。
807年(大同2年)に坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)郷が蝦夷征伐のお礼として社殿を創建。
噴火による炎上と、自然条件厳しい場所のための不朽激しく、そのつど皇室及び、武田家をはじめとした有力な武将等により再興が重ねられてきた。
現在の建物は、慶長17年(1612年)に徳川家の臣で当時当地方の領主鳥居成次が造営、その後4回の大改修を経たものを、永久保存のため昭和49年(1975年)に現在地へ遷さしたものである。
百福の宝珠
上昇、隆盛を意味する龍で宝珠を象ることで、国家・地域の繁栄を祈願したと云われている。
また宝珠は災難を除き、濁水を清くする徳があるとされており、祈ることですべての福が授かると云われている。
流鏑馬(やぶさめ)
当社には900年以上の伝統ある『流鏑馬祭り』が伝わっている。
天慶3年(940年)に藤原秀郷が平将門の乱を鎮定した帰り、戦勝を祝って御礼祭を行って流鏑馬を奉納したことから始まり、現在、毎年4月29日武田流流鏑馬神事として行われている。
アクセス
所在地
奥宮(旧本宮):〒401-0310 山梨県南都留郡富士河口湖町勝山(富士山二合目)
里宮(現本宮):〒401-0310 山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951番
お問い合わせ先
TEL:0555-83-2399
交通機関
【公共交通機関のご利用】
河口湖から湖畔周遊レトロバスで 10分 冨士室浅間神社 下車
【自動車のご利用】
中央自動車道 河口湖I.C.より 車で12分
ホームページ
http://fujiomurosengenjinja.jp/index.html
マップ
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