パワースポット!御柱祭で有名な神社「諏訪大社・上社本宮」を紹介 | 全国パワースポット案内所
目次
諏訪大社の中心【上社・本宮】とは
長野県諏訪市にある諏訪大社は、諏訪湖を挟んで、南に上社(前宮、本宮)、北に下社(春宮、秋宮)とに分かれており、本来はこの二社四宮を合わせて諏訪大社と称する。
諏訪大社は、日本列島の真ん中に本州を東西に分断する「糸魚川・静岡構造線」と呼ばれる日本最大級の活断層のライン上に建っており、ゼロ地場で有名なパワースポット「分杭峠」もこのライン上にある。
「富士山」もこのラインの近くにあり、諏訪大社・上社本宮は大地のエネルギーが凝縮された強力な磁場のパワースポットと云われている。
また、信濃国(しなののくに:長野の旧国名)における一の宮としても長く信仰されており、末社などを含めると全国で25,000社にもおよぶ諏訪神社の総本社である。
天下の奇祭と言われる、7年に一度の御柱祭(おんばしらさい)でも有名な神社である。
本宮の社殿の四隅に「おんばしら」と呼ぶ大木が建てられ、幣拝殿前の左右に片拝殿が横に並び、本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。
御由緒
創建年代は不明、我が国最古の神社の一つ。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)との相撲に敗れた建御名方命が諏訪の地に逃れ、以後は他の土地へ出ないことを誓ったのが起源とされている。
文献に最初に登場したのは飛鳥時代の初期で、平安時代には「建御名方富命神社(たけみなかたとみのみことじんじゃ)」、「須波社」と称され、信濃国の一宮とされていた。
古くから軍神として崇められ、坂上田村麻呂((さかのうえのたむらまろ/平安時代の武将・征夷大将軍)も戦勝祈願を行った。
鎌倉時代になると、源頼朝により厚く庇護され、神馬も奉納された。
この頃に武士から軍神として信仰されたことのより、全国に諏訪信仰が広まったと考えられ、「諏訪社」と表記されるようになったのもこの時代。
戦国時代には武田信玄による諏訪侵攻により武田領となり、信玄により厚く崇敬されました。
信玄は戦の時には「南無諏訪南宮法性上下大明神(なむすわなんぐうほっしょうじょうげだいみょうじん)」の旗印を先頭に、諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられている。
安土桃山時代には、織田・徳川連合軍による武田領侵攻の際に、上社が放火されると言う戦災にも見舞われている。
明治4年(1871年)には「諏訪神社」が正式名称となり、昭和23年(1948年)に現在の「諏訪大社」の号が用いられるようになった。
御祭神
建御名方神(たけみなかたのかみ) 大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子神
八坂刀売神(やさかとめのかみ) 建御名方神の妃神
※本来の御祭神は、諏訪地方の土着の神々であるという説も有り。
御神体
守屋山
創建
不詳
ご利益
御祭神である建御名方神は、水と風を司り、「国土開発」「農耕生産」「開運招福」「交通安全」などのご利益を授けていただけるといわれている。
見どころ
明神湯
諏訪の温泉の源泉ともいわれている明神湯。
参拝者が口や手を浄める御手洗(手水舎)。
ここ諏訪大社上社本宮には、「明神湯」と名付けられた、温泉の出る御手洗があり、温泉の多い諏訪ならではのスポットである。
四脚門
四脚門は、天正十年(1582年)に焼失してしまったものを慶長十三年(1608年)に徳川家康が大久保長安に命じて建立させた。
この門は、かつては大祝(おおはふり/神職)だけが最上段の「硯石(すずりいし)と呼ばれる磐座(いわくら/神の御座所)へ登って行ったもの。
「硯石」は瑞垣で囲われた大岩で、「諏訪七石」の一つに数えられている。
アクセス
所在地
〒392ー0015 長野県諏訪市中洲宮山1
お問い合わせ先
TEL:0266‐52‐1919
交通機関
【公共交通機関のご利用】
JR中央本線 上諏訪駅から「かりんちゃん」バスで30分
【自動車のご利用】
諏訪ICから約2.3km・8分
ホームページ
http://suwataisha.or.jp/honmiya.html
マップ
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