パワースポット!日本最大級の遺跡が眠る「平泉寺・白山神社」 | 全国パワースポット案内所
目次
JR東日本のCMでも有名な【平泉寺 白山神社】とは
福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する宗教都市として日本最大級の遺跡が眠る神社。
当社は古くは『平家物語』、最近では司馬遼太郎氏の『街道をゆく』にも登場し、苔寺としても有名で、「美しい日本の歴史的風土百選」に名を連ねる景勝地。
樹齢およそ1000年の老杉が立ち並ぶ菩提林石畳道(中宮平泉寺参道)は「日本の道百選」の一つで、美しい参道を木曽義仲や、奥州へと逃れる源義経主従も、歩いたと伝えられている。
女優の吉永小百合さんの出演するJR東日本のCM「大人の休日倶楽部」でも有名な観光スポット。
御由緒
当社は養老元年(717年)、白山を開いた泰澄大師(たいちょうだいし)が白山(標高:2702m)登山の際に一林泉を発見し、この地が神明の地であることを悟り、社を建立したのが始まりという古社で、白山の越前側登山口。
古くは「平清水」や「白山社」などと称したが、平安末期に比叡山延暦寺の末寺となり霊応山平泉寺と称するようになったもの。
霊峰白山への越前川からの参詣道、越前禅定道の入口に建つのが白山中宮平泉寺であり。
白山開山の泰澄(たいちょう)が、白山登頂に挑み始めたのも、この越前口から。
境内に残る御手洗池で、泰澄はお告げを聞き、寺を創建。
その池の名をとって平泉寺と名付けた。
越前禅定道は、平泉寺を起点に、白山山頂に至る30kmというロングトレイルだった(現在通行できるのは平泉寺〜白山伏拝、市ノ瀬〜白山山頂のみ)。
中世には48社36堂6000坊が建ち並び、多くの荘園を抱え強大な勢力を誇っていたが、天正2年(1574年)に一向一揆勢一向一揆の焼き討ちで寺院の伽藍は灰燼に帰した。
その後、豊臣秀吉の時代に再興され、江戸時代には白山頂上本社の祭祀権を有し、明治時代までは霊応山平泉寺という天台宗の有力な寺院であったが、明治維新の神仏分離令で寺号を棄て神社となった。
御祭神
本殿に伊奘冊尊(いざなみのみこと)、本殿右の別山社に天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、左の越南知社(おおなむちしゃ)に大己貴尊(おおなむちのみこと/大国主命)を祀る。
創建
伝養老元年(717年)
見どころ
境内・参道
境内一帯は昭和10年(1935年)に「白山平泉寺城跡」として国指定史跡、平成9年(1997)に追加部分を含めて「白山平泉寺旧境内」として指定名称が改称された。
又、参道は現在でも中世の雰囲気を残す貴重なものとして平成19年(2007年)に財団法人古都保存財団等による「美しい日本の歴史的風土百選(白山信仰の拠点 平泉寺)」、平成13年(2001年)に環境省による「かおり風景百選(白山神社境内菩提林のスギと蘚苔)」、昭和61年(1986年)に建設省(現在の国土交通省)による「日本の道百選(中宮平泉寺参道)」、平成8年(1996年)に文化庁による「歴史の道百選(白山禅定道)」に選定されている。
御手洗池
一の鳥居と二の鳥居の間にある御手洗池は、平泉寺発祥の地で、修験道の僧・泰澄が、白山登拝の途中にこの池(泉)を発見し、「神明遊止」の神託を受け、この地に社を建て、白山の神を祀った。
平泉寺という名前の由来は、この御手洗池(泉)から来ている。
苔
当社は、白山国立公園の豊な自然の中にあり、じゅうたんを敷き詰めたような苔の見事さは、京都の苔寺にも勝り、「日本一」ともいわれている。
ここを訪れた歴史小説家の司馬遼太郎氏は「京都の苔寺の苔など、この境内にひろがる苔の規模と質からみれば、笑止なほど」と絶賛したという。
アクセス
所在地
〒911-0822 福井県勝山市平泉寺町平泉寺56河上
お問い合わせ先
TEL:0779‐88‐1591
交通機関
【公共交通機関のご利用】
えちぜん鉄道 勝山永平寺線 勝山駅から京福バス越前大野行きで15分、いのせ公民館下車、徒歩10分
【自動車のご利用】
北陸自動車道 福井北ICあるいは丸岡ICから約40分 ※駐車場有(50台/環境維持協力金300円)
ホームページ
http://www.city.katsuyama.fukui.jp/bunka/heisenji/
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