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パワースポット!皇太子殿下が行啓!国指定重要文化財「八桙神社」

パワースポット!皇太子殿下が行啓!国指定重要文化財「八桙神社」 | 全国パワースポット案内所

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目次

国指定重要文化財「八桙神社」とは

まさか阿南市にこんなすごいモノがあるとは、今まで知りませんでした。

因みに、『行啓(行啓)』とは、お越しになる。の意であり、平成3年に皇太子殿下(今の令和天皇陛下)が八桙神社へ訪れたのである。

ここに皇太子殿下が行啓された理由は、阿波の古い歴史と新嘗祭と践祚大嘗祭を追っていくと次第にその事に気付かされます。

八桙神社へアクセス

當社は、長生町宮内に鎮座しています。

また、長生と書いて、『ながいけ』と読みます。

地元民は馴染みがあるので、わからないが、県外人から見ると不思議に思われる様です。

更に『宮内』も中々で意味深な地名が残っています。

當社へ訪れるには、スーパーのセブン(コンビニでは無く、スーパーマーケットです(笑))上中(かみなか)店から、南へ海部(かいふ)または、室戸(むろと)へ向かい、ボタン信号機の所を右(西)へ向かいます。

その手前に『八桙神社』の看板も見えます。

後は一本道なので、丁字路に辿り着いたら山側に八桙神社があります。

セブンのスーパーから南へ

南(海部または高知の室戸の方角)

ボタン信号機の所を右へ(西へ)

ボタン信号機の手前に『八桙神社』の看板があるが良く見逃しているのに気にしなくても良い。

後は一本道で丁字路にたどり着いたら山側が八桙神社になられます。

更には、近くには八桙寺もあります。

古(いにしえ)の時代は、立派な鳥居があった

更に、もう一つ、八桙神社にはスゴイ道があります。

それは當社から南へ向かうと道中でニイのヒヨコに1の鳥居が有ります。

これは、同県石井町の多祁御奈刀弥神社の1の鳥居から2の鳥居までの距離約280mの距離とほぼ同じになっています。

ただ、八桙神社の1の鳥居から更に南へ続く道がほぼ一直線になっており、突き当たりまで行き、そこにもしも、1の鳥居が設置されたのならば、およそ1㎞はなっていたでしょう。

もしもそれが、現存したのなら、當社はかなりの大社であった事を想像してしまいます。

また更に、こんな資料もあります。

江戸時代に記され阿府志によると、

「宮内村は古の神領であり、上古の鳥居跡あり地中に埋まる。一丈五尺廻り(約四・五m)二中の間二十間(約三十六m)」とある。

本当ならば、化け物並みの鳥居で、ウルトラマンがほっふく全身すれば、間違えて通れてしまえそうな大きさです。(因みにウルトラマンの身長は40mです)

境内の案内

さていよいよ境内の案内ですが、こちらは見た目からすると、国指定重要文化財があったり、皇太子殿下行啓するような所があるとは、現在の作りから到底思えない所です。

本殿は参道を歩いて一番奥の小高い階段を上がった所に簡素な作りで建てられています。

社殿の中には、鏡が奉納されている様で、ここでも光通信をしていたと伺えます。

主際神の右に祀られている神は、とても大切

そして本殿へと登る途中の右側に、「奥山神社」と少し大きめの拝殿があります。

こちらの主際神は子彦名命になります。

そこで1つ気になる事があります。

その神様が相殿で間違い無いのですが、主際神の右側に祀られる神様は、目上かお世話になった神様で無くてはなりません。

たしかに子彦名命は、大国主神とともに、高天原から降りてきて、国造りをしたそうなのですが、それでは、後の「国譲り」の話しと矛盾してしまい、高天原の神々が、大国主神に子彦名を付けて、「国造り」をやらせて、後に大きくなった国を「国譲り」と言う形作で奪うと言う計略になってしまいます。

高天原で大暴れしたスサノオよりも、天照大神側の方が狡猾な印象を受けます。

どちらかと言えば、稲葉の白兎辺りかスサノオがまだ良さそうな気もします。

因みに左側には、天神社、山神社、大将軍神社と、何とも勇ましい社名が並んでいます。

国指定重要文化財(1)重要文化財の木造神像

なお當社は、平安時代にまとめられた延喜式神名帳に載っている神社だけあり祭神である木造大己貴命(重要文化財)、木造男神立像1躯(重要文化財)の他に、3躯の木造男神立像と6躯の木造男神坐像(ともに徳島県指定文化財)など多くの文化財を所有する古社なのです。

わかりやすく以下の様にレイアウトしました。

  • 主祭神:木造大己貴命(国指定重要文化財)
  • 木造男神立像1躯(国指定重要文化財)
  • 3躯の木造男神立像(徳島県指定文化財)
  • 6躯の木造男神坐像(徳島県指定文化財)
  • 「国指定重要文化財(2)平安時代の書物『紙本墨書二品家政所下文附紺紙金泥法華経八巻』」

2017年12月3日徳島新聞に、八桙神社が所有すると云うサブタイトルの書物に金泥文字に真鍮(しんちゅう)が含まれていることが、修繕に伴う科学調査で判明したのである。

真鍮が国内に普及したのは、江戸時代からのが定説らしいですが、平安時代での真鍮を使用例はこれで、3列目になる様です。

つまりは、江戸時代よりずっと前に、平安時代から既に、金泥文字で真鍮を使用する技術があったことを示しています。

八桙神社に奉納されていた経緯は、長寛元年9月25日関白左大臣大将正二位藤原基実によって奉納された様です。

なお過去に盗難があったらしいですが、無事に戻り、重要な発見が出来て何よりです。

皇太子殿下、八桙神社へ行啓の意味とは

https://the-liberty.com/article.php?item_id=11516

多くの方や研究者たちが、この理由について悩んでおられるようです。

実際に、八桙神社を調べるに当たり、この謎を皆が不思議がっていました。

しかし、阿波の古い歴史と現代のといいますか、歴代の天皇陛下が行ってきた神行(しんじ)を見れば明白です。

天皇陛下が行う神行で、毎年行う新嘗祭は、五穀豊穣の祀りです。

そして皇太子殿下が天皇陛下に即位したその年の新嘗祭を行うのが践祚大嘗祭になります。

さらにもう1つに、徳島県徳島市には、眉山(びざん)があります。

こちらは、さだまさしさんの小説、ドラマの舞台にもなりました。(若い人は知らないかもしれませんね)

その眉山には、数多くの神社や塚、古墳、記念碑などがあるのですが、その中に、神武天皇の銅像と明治天皇の銅像があります。

更に、眉山にはあまり知られていないのですが、スサノオの古墳があります。

つまりは、そういう事なのです。

何も無いのが売りの、それが阿波の国です。


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