パワースポット!多祁御奈刀弥神の妹を祀る神社「建島女祖命神社」

パワースポット!多祁御奈刀弥神の妹を祀る神社「建島女祖命神社」

http://www.komainu.org/tokusima/komatsujimasi/tatsushima/tatsushima.html

多祁御奈刀弥神(建御名方神)の妹を祀る神社「建島女祖命神社」とは

建島(旧:嶋)女祖命神社(たつしまめおやのみことじんじゃ)は、多祁御奈刀弥神(またの名を、健御名方神(タケミナカタのかみ))の妹と呼ばれているがそれをアピールする話しはまあり目立っていない。

それでは建島女祖神とは何者なのであろうか?

そんな女神様は、氏子には「タツシマハン」と呼ばれている。

建島女祖命神社へアクセス

當社へ訪れるには、県道17号線から徳島県小松島市中田町小松島不動産の所にある辻の交差点から日乃峯山へ向かって行くと、當社へ続く一の鳥居がある。

そしてそこから、二の鳥居へ向かうと小山が見えて来る。

建島女祖命神社の案内

小山の麓にある二の鳥居の両サイドには、大きな狛犬が見張りをしている。

少し昔は、この辺りが如何に栄えていた事を物語っている。

更にそこから階段を少し登るとこじんまりとした社殿が見えて来る。

見た目は小さい神社であるが、延喜式神名帳に『阿波國勝浦郡、八座』の内にしっかりと記されている。

また、麓にある由緒書きの看板を前部だけ抜粋しますと、『また、諸誌によると883年従5位上の「埴生女屋神」とあり、「建島女祖命下照姫」を祭るとある。また、下照姫は「建御名方神の妹」諏訪の神であるといわれ、これから「建島」と呼ばれると言われる。』と、ある。

ここで注目して欲しいのは、主祭神の建島女祖命下照姫もそうだが、埴名女屋神も焦点を当てて欲しいです。

滋賀県へ勧請した波爾布神社

http://www.tukinohikari.jp/jinja-siga/takashima-sinasahi-hanifu/index.html

滋賀県高島市新旭町に鎮座する神社、波爾布神社(はにふじんじゃ)は、阿波国勝部郡建部女祖命神社より、波爾山比賣命を勧請したと伝えられる。

※勧請(かんじょう)意・神仏の来臨を願うこと。

その事は、しっかりと滋賀県の波爾布神社にも残っているようです。

こちら社殿によりますと、口碑によると往古より弥都波乃売命を祀っていたが、天平13年に阿波国勝浦郡建島女祖命神社より波爾山比売命を勧請したと伝えられ……とあり、元宮の建島女祖命神社の社殿の裏にはそれを祀っていたであろう?空間があります。

建島女祖命神信仰の歴史

さて、建島女祖命神社の麓にある案内板の最後には、883年には従5位上を賜ったと書かれており、現代の感覚すると、こんな田舎の寂れた市に、従5位上があったこと事態すごい事なのです。

不思議の国、阿波国です。

また、社殿の裏には、中田山があり、過去に土木工事を際に、勾玉、須恵器、刀、剣、鏡、玉類が出土したことからこの山が古墳だと判明したようです。

ただ、現代ではそんなロマンはあったように思えず、土木工事で出た残土の置き場にしか見えません。

建島家の墓を祀る、成願神社

更に、社殿の南東に成願神社があり、そこは建島家の墓があるそうだ。

何ともすごい事なのだろうか。

ただの神話が建島家の墓があるだけで現実味を更に帯びては来ました。

地神さんの中にも

https://cultural-experience.blogspot.com/2015/11/blog-post_82.html

もっと更にすごい事に、徳島県の阿波古社には、各地に、五角形の小さくて塔が祀られており、北を、天照大御神を定められ、その5つ面の中に、埴生女屋命が祀られている何気にアグレッシブな神様です。

しかしそれなのに、神話での登場扱いは、イザナミの糞から化身したと残念な扱いを受けている。

さてどうして、タケミナカタの妹と言われる、女神が、敵対する天照大御神の所に名前があるのか?

つまり、これは『何者かが、混ぜた』と考えるが妥当では無いのでしょうか?

目的や経緯は、色々と妄想がふくらみますね。

反逆の武埴安王

 

https://yaokami.jp/1360435/

また、更に、第10代崇神天皇の時代に、武埴安王は反乱して、皇位を奪おうとした。

その母である埴安媛命は、息子の妻である妻吾田媛(あたひめ)に香具山の侵入と呪詛を許し助けたとある。

結果は崇神天皇の命をうけた大彦軍が武埴安王軍を沈めた事により事なきを得て、その武埴安王命は、葬場は、阿南市羽ノ浦はのうら町宮倉みやぐらの能路寺山のうろじやま古墳群中で、その古墳をご神体に、和耶わや神社(式内社)として祭祀されていた。

「わや」とは、阿波弁で今では阿南弁で用いられられる。

「台無しになる」「元も子もなくなる」の意で、遺族や民人らが武埴安王を哀れんで祭祀するうち「和耶わや」が神社名になったものと思われる。

しかしどうして、武埴安王は乱をはじめたのか?

何を思っていたのかは?

今では克つて香具山であった日峰山だけがて知っているようです。

建島女祖命の意味

最後に建島女祖命の女祖に付いてもう一度、解説しますと天皇家の最高の母親に尊称される名であり に関与する事を意味する。

つまりこれで天皇家直系の先祖が天照大神、須佐之男命のどっちかはこれで、可能性が一歩前進しました。

更に建島女祖命神社の小山は近くに、日峰山、日峰神社もあり、少なくとも崇神天皇の時代より古くから祀られていたと考えられる。

そうで無ければ、歴史前後の辻褄が会わないからです。


スポンサードリンク



この記事の最上部へ

【全国パワースポット案内所】トップへ

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ