パワースポット!天照大神最後の跡地「天石門別八倉比売神社 」

パワースポット!天照大神最後の跡地「天石門別八倉比売神社 」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%80%89%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

天照大神最後の跡地「天石門別八倉比売神社」とは

當社は、天照大神の最後に住んでいた土地でもあり、卑弥呼の墓があるともされ、阿波城の土地にもなりました。

そんな八倉比売神社は、津峯神社と賀志波比売神社の記事でも、少しだけ触れています。

『正式名・天石門別八倉比売(あままのいわとワケやくらひめ)神社』です。(わざわざ別(ワケ)を強調しているのは、根から別れたと言う意味する)

天石門別八倉比売神社へアクセス

天石門別八倉比売神社へアクセスするには、車からですと徳島県国道192号線から西への道になります。

門前である八倉比賣神社鳥居からは直通なのですが、神社に駐車場は無いので『阿波史跡公園』に駐車してから行く事をオススメします。

そこから徒歩で、約700㍍/約12分の距離に鎮座しています。

ただ道中のクライマックスで、難所となる階段があります。

まさに、ライフエナジーもクライマックス間近になります。

しかし、先ずは『徳島考古資料』へ立ち寄り、予備知識を身に付けてから参拝する事をオススメします。

そうされますと、よりいっそう賀志波比売神社への関心と歴史認識が深まるかと思われます。

【旧:阿波國一宮?】天石門別八倉比売神社

http://www.naruto-kankou.jp/spot/detail/150

グーグルナビやネットでは、一宮や神名大社の文字が踊っていますが、正確には大社であるのが打倒です。

そしていくつかの資料を見る限り、一宮の様な記載は何処にもありません。

何れも平均、阿波国正4位下辺りになっております。

因みに最初の平安時代より『延喜式神名帳』では、大月次新嘗の記載があります。

そして現在の阿波国一宮は『大麻比古神社』に当たります。

しかし規模とか推定しますと、昔は一宮クラスはあったのかと想定されます。

更に東へいくと、似たような社名で『八倉姫神社』がありますが、こちらは分霊かと思われます。

天照大神(卑弥呼)の墓?八倉比売神社磐座

http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=%208249

そして『天石門別八倉比売神社』裏に奥の院である『八倉比売神社磐座』が鎮座しています。

そこには阿波国特有の青石(緑岩石)で築き上げた五角形の祭壇の上に、同じく青石で組んだ祠があります。

こちらが定説では、天照大神(卑弥呼?)の墓とされています。

しかし不思議な事に『賀志波比売神社』の時は八角形を重要視していました。

しかしこちらでは、五角形になっております。

阿波特有、五角形の地主さん

http://kamnavi.jp/en/awa/yakura.htm

ですが、阿波には五角形の石柱がありまして、『地主さん』と呼ばれる祭礼があります。

その5つの面にそれぞれの神々の名前が記されています。

  • 天照大神
  • 大己貴命
  • 少彦名命
  • 埴安姫命
  • 倉稲魂命

以上の5つ柱の神がそれぞれの面に名前が刻まれています。

つまりこの五角形は、五柱の神々を表しています。

これを天照大神の墓と考えどうにも腑に落ちません。

天照大神を北に向けて、五角形の底辺の面が来る様になっておりますので、一様、天照大神の墓としてもわからなくはありませんが、問題はその五角形祭壇の上にある祠です。

こちらは鶴亀石であり。(剣山にも同じような祭礼がありまして、こちらは岩となっております)

『つるぎ石』と呼ばれ、永遠の象徴とされています。

つまり生物にとって永遠とは、間違っても不老不死なとではなく、子々孫々を意味しており、遺伝子を遺して受け継ぐ事を意味します。

ですから、この鶴亀岩のつるぎ石は生命の繋がりを表しています。(意味深です)

そうだとすれば、こちらの『つるぎ石』の祠は天照大神といったい何の関係があるのでしょうか?

どっちかと言えば、天照大神のシンボルなら鏡石とかになるはずです。

加工技術は充分にあります。

とても気になります。

ですがもう一度、本記事のメインである『天石門別八倉比売神社』に戻って考えますと、ここが本宮では無い事が既にわかっています。

つまりこの五角形の祭壇がどうかは不明ですが、少なくとも上のつるぎ石は、天照大神の墓では無い事を示しています。

では、ここは祭壇は、何なのためのモノなのか?

そして天照大神の本物の墓は何処にあるのか?

この仮説が正しいのならば、謎は更に深まるのです。

ここで解る事は、ただ1つ。

八倉比売(天照大神)の墓は、本宮があった神社の近くにあるはずですから、後世の人々が移した時にわからなくしてしまったのでしょう。

他にも魅力いっぱいの木延山

さて、天照大神の本宮と墓はわからなくなりましたが、周囲には余すことの無い魅力いっぱいの観光名所がいくつもあります。

それらは全て、天照大神と縁がありますので、何処に天照大神の本宮たる神社や墓はあったと考えられます。

阿波史跡公園の弥生時代(委の国時代)の都市住居

最後に車を停めた阿波史跡公園で締めくくります。

公園には八倉比売(天照大神)を中心とした人々の住居の数や環境から考察しますと、この辺りはその昔、都会だったと言う事がわかり、そのため神社やお遍路さんのお寺がいくつもこの木延山に終結しています。

今でこそ不便な生活と感じますが、当時は最先端の生活を送っており、豊かな土地だったからこそ、この地が現存しており、神社や寺に参拝者達が等しく耐えないのでしょう。

また更に、木延山はどこからどこまでが古墳なのか?

わからなくなっていると言う伝説もあります。

パワースポット!天照大神最後の跡地「天石門別八倉比売神社 」まとめ

  1. 天石門別八倉比売神社へのアクセスは、阿波史跡公園に駐車してから歩く。
  2. 更に奥の院には、天照大神(卑弥呼)の墓とされる八倉比売神社磐座には、五角形の祭壇に鶴亀石が鎮座している。
  3. 祭壇などの石には、阿波特産の青石が使用されている。
  4. しかし、それが天照大神(卑弥呼)の墓でもない可能性もある。
  5. それでも、木延山にはただならぬ状況証拠がいくつもある。
  6. 木延山は古墳だらけで、どこからどこまでが自然で人工なのか? わからなくなっている。

アクセス

所在地

徳島県徳島市国府町矢野531

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