パワースポット!御柱を建てない神社「守屋神社」を紹介

パワースポット!御柱を建てない神社「守屋神社」を紹介

出典:ドラムと神社のブログ https://ameblo.jp/sasha-iscandar/entry-12431072087.html

目次

物部氏ゆかりの【守屋神社】とは

守屋神社(物部守屋神社)は、守屋山(もりやさん)山頂の奥宮と山麓の国道256号沿いにある里宮の総称。

守屋神社の里宮は茅野市と伊那市を繋ぐ杖突峠(つえつきとうげ)にあり、東峰への登山道が続いている。

もともと雨乞い祈願の山として崇められてきた。

諏訪地域の神社としては珍しく御柱を建てない神社となっている。

御由緒

「1400年前、蘇我氏との戦いに敗れて逃げてきた物部守屋の一族が創建した」と伝えられている。

諏訪大社の南側にある守屋山の東峰に建つ神社。

御祭神

物部守屋大連大神(もののべもりやおおむらじのおおかみ)

物部守屋(生年不詳~587年)古墳時代の大連、王朝の最高執政官。

※大連・・・古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の1つ。大王(天皇)の補佐として執政を行った。姓(かばね)の一つである連(むらじ)の中でも軍事を司る伴造(豪族)出身の有力氏族である大伴氏と物部氏が大連となった。

物部氏は、天皇家を除いて「天孫降臨」「国見」の逸話をもつ唯一の氏族で、守屋の父は物部尾輿(もののべのおこし)、母は弓削(ゆげ)の連の祖・倭古の娘(阿佐姫)である。

物部氏は軍事部族と云われる有力豪族で、廃仏派の物部守屋は仏教受容問題及び皇位継承問題で、崇仏派の蘇我氏と激しく対立していた。

用明天皇2年(587年)に勃発した丁未の乱((ていびのらん)/物部守屋の変)において、厩戸皇子(うまやどのおうじ:後の聖徳太子)と大臣蘇我馬子率いる追討軍に物部主家は攻め滅ぼされた。

この後、物部氏は衰退した。

出典:古代史日和 https://kodaishi.net/person/clan/mononobenomoriya_3

創建

不詳

ご利益

雨乞い祈願

出典:古代史日和 https://kodaishi.net/person/clan/mononobenomoriya_3

見どころ

奥宮

守屋山周辺の村々は、日照りが続くと守屋山に登り雨乞いをしたという。

その効果が現れないときは、祠に小便をかけたり、祠を谷に突き落とすことまでしたとそうで、早い話が「嫌がらせ」で、これには祭神の守屋大臣も怒って、たちまちにして雨を降らせたと伝えられている。

奥宮が柵で囲ってあるのはそれを防ぐためだとされる。

平成の世になっても雨乞いは続けられ、平成14年(2002年)8月中旬には、「上伊那郡箕輪町は、町長を始め役場職員ら7名が雨乞いに登った」と新聞記事は伝えている。

出典:比企の丘 https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/0d503e2dc6ed3d4016d39092b73ccbc4

アクセス

所在地

〒396-0301 長野県伊那市高遠町藤澤

交通機関

【自動車のご利用】

諏訪ICから約32km、車で30分程度。

ホームページ

公式ホームページ無し

マップ


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