みどり豊かな神社!武蔵三氷川の中社【中氷川神社】とは
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目次
武蔵三氷川の中社【中氷川神社】とは
入間郡三ヶ嶋(みかじま)領の鎮守で、旧村社。
足立郡大宮の氷川神社と西多摩郡氷川村の上氷川神社との中間に鎮座することから中氷川神社と称されるようになったといい、『神祇志料(じんぎしりょう)』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされていることから、当社が「延喜式」式内社の中氷川社だと云われる。(所沢市山口の中氷川神社とする説も有り)
室町時代までは、社号を略して「中宮」、江戸時代には、境内が北東から南西にかけて、非常に細長い形をしているところから「長宮明神社」と呼ばれていたとする説や「中宮」が椅子近転じて「長宮」になったとする説も有る。
その長い参道で流鏑馬(やぶさめ)神事が行われていたが、現在は途絶えている。
茶畑の中、杉、檜に囲まれ、参道には立派な桜が植樹された、みどり豊かな神社である。
御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
創建
伝 紀元前1世紀
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御由緒
創建は、不祥ながら、崇神天皇御代(紀元前97年~紀元前29年)に大宮氷川神社より勧進され、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に立ち寄って大己貴命と少彦名命の両神を祀った、と伝えられる。
天正19年(1591年)徳川家康より社領10石の御朱印状を賜り、明治初年(1868年)、中氷川神社へ改称し、明治5年(1872年)村社に列格した。
中氷川神社のご利益
厄災除け、安産、縁結びなど
中氷川神社の三ヶ島葭子(みかじま よしこ)歌碑
三ヶ島葭子は、明治19年(1886年)入間郡三ヶ島村(現所沢市)生まれの歌人である。
埼玉県女子師範学校(現埼玉大学)に学び、東京府西多摩郡小宮村尋常高等小学校(現あきる野市)に教員として勤めながら、新詩社、青鞜社に入り、短歌を発表、与謝野晶子の指導を受けた。退職、結婚後には、「アララギ」に短歌を発表し、大正10年に歌集『吾木香(われもこう)』を出版。
40年の生涯で6,000首以上の歌を残した。
本名、倉片よし。
当社神官の子女でもあり、境内に歌碑が建てられている。
「春の雨 けぶる欅(けやき)の梢より をりをり露の かがやきて落つ」
出典:所沢観光協会 http://www.tokoro-kankou.jp/select100/081.html
御神木のケヤキ
戦後間もなく暴風雨によって倒れて枯死し中が空洞になってしまった御神木のケヤキが保存されている。
樹齢は推定1000年とも云われおり、昔は御神木内を住み場として青蛇・白蛇がたくさんいたと伝えられている。
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【中氷川神社】へのアクセス
所在地
〒 359-1165 埼玉県所沢市三ヶ島5‐1691‐1
交通機関
【公共交通機関のご利用】
西武池袋線「狭山ヶ丘駅」、「小手指駅から西武バス「三ヶ島農協前下車」徒歩10分
ホームページ
http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/kurashi/jutaku/keikan/mijikanakekan/keikanshigen/ichiran/shiteiichiran/nakahikawazinzya.html
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