関東の三鶴!安房国総社【鶴谷八幡宮】とは
出典:じゃらん https://www.jalan.net/kankou/spt_12205ag2132051650/photo/?screenId=OUW2201
目次
安房国総社【鶴谷八幡宮】とは
平安時代初期、国府近くの三芳村府中(現 南房総市)に安房国総社として創建された。
現在も元八幡として残り、最近までそこの井戸の水で当社例祭が行われていた。
鎌倉時代に八幡信仰の高まりにより八幡宮と改名され、現在の位置に移された。
明治6年(1873年)に郷社、昭和15年(1940年)には県社となり、昭和51年(1976年)に本殿の大改修により鶴谷八幡宮に改称された。
一の鳥居から二の鳥居まで真っ直ぐ伸びた長い参道が特徴的。
御祭神
品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇(八幡神))
帯中津彦命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后(仲哀天皇の皇后))
創建
平安期の初期 伝
摂末社
◆若宮八幡神社/御祭神 大雀命(おほさざきのみこと・仁徳天皇)
◆高良神社/御祭神 武内宿禰命(たけしうちのすくね)
◆鹿島神社/御祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
◆西宮神社/御祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと)
ご利益
厄祓い、武運長久、身体壮健、諸願成就
鶴谷八幡宮おすすめポイント
鈴木伊三郎の狛犬
安房の名工、鈴木伊三郎が制作し、文政3年(1830年)に奉納された狛犬。
百態の龍(ひゃくたいのりゅう)
安房の三名工のひとり後藤義光の傑作で市指定有形文化財。
拝殿向拝の天井一面に施され、初代後藤義光の慶応二年(1866年)52歳の時の作品で、義光、江戸の後藤豊次郎とその門人との合作とされ、鏡天井の中央の大きな龍と55龍とで構成されている。
義光は多くの作品を残しているが、房州で初代義光の天井彫刻があるのは鶴谷八幡宮のみ。
「百態の龍」の他、「棟札(むなふだ)」、刀剣銘「守家(もりいえ)」は市指定有形文化財に指定されている。
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例大祭 安房やわたんまち
毎年9月に行われる安房地方の例大祭・安房国司祭「安房やわたんまち」は平成16年(2014年)千葉県指定無形民俗文化財に指定された、千年余りの伝統を誇る安房地方で一番大きいお祭りである。
初日は、順次10社の神輿が着御(ちゃくぎょ)する。
担ぎ棒は「2本棒」と呼ばれるタイプで、それを左右に揺らす「もみ」とできるだけ高く神輿を掲げる動作の「さし」が特徴的。
このもみ・さしを繰り返し「神輿振」の勇姿を御仮宮に納めていく。
2日目は、4基の山車と1基の御船と出祭10社の神輿が還御。
八幡宮の神輿は昔の名残の放生会(ほうじょうえ/捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式)を執り行うため八幡の浜に神幸される。
「やわたんまち」の由来は不詳だが、大永5年(1525年)の『鶴谷八幡宮社記』によれば、16世紀の段階では少なくとも8社の神輿が参集して、祭りが行われていたことが知られ、その後、明治時代初期に高皇産霊神社が加わり、昭和4年(1929年)には子安神社が加わって、現在のように出祭神社が10社となり、今日に及んでいる。
また、北条地区の山車・屋台計5基が加わったのは、明治時代後期と考えられている。
出典:東京湾観光情報局 http://tokyo-bay.biz/pref-chiba/city-tateyama/yawatanmachi/
関東の三鶴
関東の三鶴、いわゆる三鶴八幡には諸説あるが、市原市中高根の鶴峯八幡宮ではなく、海に面するといったことから富津市の鶴峯八幡神社を入れた、当社と鎌倉の鶴岡八幡宮の三社とする説がある。
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【鶴谷八幡宮】へのアクセス
所在地
〒294−0047 (鎮座地)千葉県館山市八幡68 (社務所)千葉県館山市八幡76
お問い合わせ先
TEL:0470‐22‐1258
交通機関
【公共交通機関のご利用】
- JR館山駅から徒歩約17分、タクシーで約5分
【自動車のご利用】
- 東京 →(東京湾アクアライン〜館山自動車道)→ 富浦IC(終点出口)から約10分
- 東京 → (京葉道路〜館山自動車道)→ 富浦IC(終点出口)から約10分
- 富浦IC → (国道127号:白浜・館山方面へ) → 「鶴谷八幡宮入口」交差点を「州崎」方面へ右折 → 一つ目の信号過ぎて右手が駐車場。
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