パワースポット!地元に愛されている「生夷神社」について

パワースポット!地元に愛されている「生夷神社」について

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目次

地元の人に愛されている生夷神社とは

見た目は、小さな神社ですが、延喜式神名帳で阿波国勝浦郡に記されている由緒正しい神社です。

生夷神社へアクセス

ここへ訪れるには、阿南市や小松島市のどちらからでも、来られるので、そのルートから県道22号線を勝浦町へ向かって車で走っていると、道の脇に看板があります。

うっかりしていると、見逃すので注意して運転することを忠告します。

小さな神社なので、駐車場もそれほど広くなく、車が1、2台停められるぐらいスーペスしかありません。

生夷神社の境内の案内

こちらの神社は、見た感じだと小さな村の神社ですが、地元の人に愛されており、手入れが行き届いています。

生夷の漢字を『いくい』と読みます。

言い伝えでは、ここが事代主、またの名を恵比寿(エビス、またはえべっさん)とも呼ばれています。

瓦には、亀の絵柄があり、また棟のフチには波の模様があり、海との関係を連想させます。

生夷(いくい)と生比奈(いくひな)

まず、『生夷』とは通常、『いくひな』と呼びますが、當社では『いくい』と読む様に定められています。

また、町内に生比奈(いくひな)と言う小学校や郵便局もあり、ますます、神社と地元の繋がりを強くしてくれます。

生夷の夷に付いて

『夷』とは、広く一般には、東方の未開人。

または未開人を意味します。

これだけでは、何もわかりませんが徳島県史には、阿曇(あずみ)系海洋民が斎き祀る神とあります。

そしてこの地(勝浦)はかつて、赤土が豊富で瓦産業として栄えた場所でもありました。

つまりは古(いにしえ)の時代に、阿曇系海洋民がどこからか?やってきて、ここ、勝浦の地にやってきて開拓したのです。

大国主神との関係。両方の地名ある「イ」の関係

http://www.komainu.org/tokusima/anansi/YahokoMiyauchi/yahoko.html

さて、古事記の世界では、大国主神は事代主の父親と言う事になっており、ナガノ国を治めていることになっています。

ここ、徳島県では大国主神は阿南市長生(ながいけ)町の八桙神社に祀られています。

これは偶然なのか?

故意なのか?

生夷神社と長生町『生』に何か繋がりを感じますね。

更に深く調べると、事代主とその一団の民族は、東からここ勝浦の地にやって来て、開拓したという事になります。

勝浦町の東と言えば、阿南市があり、那賀川町(旧は中川郡)があり、海があります。

もしかしたら、事代主も大国主神も、多祁御奈刀弥神も何処かの海外から、船に乗ってこの地にやってきたのかも知れません。

更には、その祖でもあるスサノオもそうである可能性も高くなります。

鮎と釣り人の事代主

http://www.tsurisoku.com/news/2020/05/29/9277/

事代主が釣る魚と言えば、普通の人は鯛を連想させるが、ここではになっています。

そんなわけでここ、徳島県の勝浦では、事代主は鮎を釣っています。

事代主の時代には、鯛は釣れてないと資料にありますが、たしかにめったに普通では鯛も釣れませんし、 メデタイと言う語呂合わせだけで、他に何か別の繋がりがあるわけでもいまのところはありません。

それよりも『鮎』を薦める理由に『鮎』とは、魚に占うと書きます。

この鮎が釣れた数で吉、凶を占ったとされています。

鮎も美味しい勝浦の街

また、勝浦では、梅雨の時期に川に鮎を放流するので、友釣りなどの釣りも楽しめ、鮎が食べられる美味しい店もあります。

川の女王である鮎。

事代主の様に、鮎で自分なりの占いをされてはいかがでしょうか?

ビックひな祭り

https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/13463

さて、事代主が生まれた地と云われる勝浦町には、『ビックひな祭り』があります。

1989年:徳島県勝浦郡勝浦町にて、ビッグひな祭りが始まります。

期間は、『2月から3月末ぐらいの間』

会場内には、全国から寄せられたひな人形が数多(あまた)に飾られており、その土地でしかお目にかかれない特徴的な雛人形がお目にかかれます。

また人形の顔も独特でよく見ると違う容貌をしており、服装も地方特有のモノとなっております。

また、会場内の中央にはピラミッド状になった雛壇があり、その中に長女、次女、三女のお雛様の違いがあります。

地元特産品などを即売する「ひな市」や阿波人形浄瑠璃の公演、阿波踊りなどの催しもあります。

入館料:大人300円、小学生100円、団体(10名様から)200円

千葉県勝浦市とビックひな祭りの関係

関東の千葉県にも同じ勝浦町があります。

それもそのはず、天日鷲神を祖とする阿波忌部族が、徳島県から舟で黒潮に乗って関東地方の現在の千葉県に行き、安房(あわ)と名付け、第2の古里へ開拓したのです。

それも、侵略では無く、阿波忌部族は自分たちが持つ、農業の技術や、大蔴(おおあさ)から、糸や綿にして、着物などの生活に必要なモノにつくる産業の技術を惜しみなく、元からそこに住んでいた地元の住民に提供したのです。

見返りは、何もありません。

阿波忌部族は、現在、その名を知る人々は数少ないです。

しかし、天日鷲神は現在の千葉県にも多く祀られています。

登渡(とわたり)神社、鷲(わし、おおとり)神社(わし神社は2カ所鎮座する)、安房神社など。

徳島県の勝浦から始まったビックひな祭りは、千葉県勝浦市を始め、長野県須坂市の『信州須坂しあわせ雛祭り』、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の『南紀勝浦ひなめぐり』が雛祭りの時期に開催されています。

まさに、桃の花が綺麗に咲く時期です。

阿波から広がったビックひな祭り。

それは、事代主様の生誕の地と呼ばれ、今ではのどかな山の小さな町です。


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