水の神様を祀る日光二荒山神社の別宮「滝尾神社」とその見所
目次
出典:日光二荒山神社ホームページ http://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image_c.cgi?60:430:0:0
日光二荒山神社の別宮【滝尾神社】とは
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)の別宮。
本宮、新宮(現在の二荒山神社)とともに日光三社権現の一つである。女峰山の女神田心姫命を祀る。
平安時代、弘仁11年(820年)弘法大師が創建したと伝えられる。
明治4年(1871年)の神仏分離までは楼門に大師の筆といわれる「女体中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置されていたという。
正保3年(1646年)の建立。
4月の弥生祭の時には、二荒山神社から滝尾の神輿が渡御(とぎょ)する。
~案内板より~
御本殿・唐門・拝殿・楼門・鳥居・石畳は国の重要文化財に指定されています。
弘法大師が、女峰山に滝尾権現を建立し、女峰山を拝むために造られた神社として伝わる。
場所は、日光東照宮の西側の山奥で、山道を約30分ほど入ったところに鎮座する
御祭神 田心姫命(たごりひめのみこと)
日光二荒山神社の主祭神、大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神、水の神様。
創建
弘仁11年(820年)弘法大師により創建。
滝尾神社の必見!スポット
《白糸の滝》
天狗沢にかかる名瀑。高さ約10m。
弘法大師修行の場と伝えられている。
室町時代、文明十八年(1486年)京都聖護院の准三后(じゅさんごう)、道興(どうこう)大僧正が日光を訪れ、その時の紀行文「廻国雑記(かいこくざっき)」に和歌が詠まれている。
世々を経て 結ぶ契りの 末なれや この滝尾の たきの白糸
運試しの鳥居
元禄9年(1696年)に、三代将軍家光の忠臣、梶定良が奉納したもの。
鳥居の額束(がくづか・中央の縦の部分)の丸い穴に小石を三つ投げ、穴を通った数で運を試したという。
御影石、明神造り。
~案内板より~
《滝尾三本杉》
弘法大師が、この山で修行をした時に田心姫命が現れた場所と伝えられる。
初代の杉は1699、1747、1749年と相次いで倒れ、現在の木は2代目である。
倒れた神木は、そのままにしておく習わしで、今も横たわっています。
この神木の霊験を示す話があり、寛文7年(1667年)鶏頭院山舜の下僕が、この神木を小さいと馬鹿にして、神罰を被ったという。
~案内板より~
滝尾神社のご祭神である田心姫命が降臨したとされる神聖な場所。
境内でも最もパワーがある場所とも云われる。
周辺は石玉垣によって囲われ正面には鳥居が建立されている。
《酒の泉》
その昔、弘法大師・空海が滝尾神社の付近を流れるこの「酒の泉」を汲み取り、日光山の神々に供進(お供え)した。
その後、供進した水で酒を作ると、信じられないほど美味であったことから「酒の泉」と呼ばれるようになったとのことです。
本宮の清水(昭和二十四年の今市地震で消失)、薬師の霊水とともに日光の三霊水の一つ。
弘法大師が、この泉を汲んで神に捧げたといわれる。
この御供水(ごくうすい)には、酒の味があるといわれ、持ち帰って元水として酒を造ると、良酒ができるという。
醸造家の崇敬が厚く、古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が結成され、秋に祈醸祭、春に報醸祭が行われる。
現在は、西神苑の「二荒霊泉」でおこなわれる。
~案内板より~
昭和42年の地震で湧水しなくなってしまったため、現在では二荒山神社の神苑の中にある「二荒霊泉」が代わりになっている。
《無念橋(俗称 願い橋)》
無念橋の「無念」は、「残念、無念」といった意味ではなく、女峰山を拝むために、
「自分の身を清め俗界と縁を切る、念を断ち切り空になる」
ということから名付けられた。
三本杉を通してご神体山の「女峯山」を遥拝するため、自分の身を清め俗界と縁を切ることを意味する橋であった。
しかし、いつの頃からか己の歳の歩数で渡ると女峯山頂奥宮まで健脚で登ったことになり願がかなえられると言われるようになり「願い橋」と呼ばれるようになった。
江戸時代までここは日光修験の中心地であったところから修験者(山伏)達の足腰のたんれんのための修業が原因でこうした伝承が生まれたのだろう。
~案内板より~
建設時期:延宝5年(1677年)完成
規模:橋長・幅員:1.22m×1.14m
形式:石造反り橋
《子種石》
古くは子種権現といわれ、子授け、安産などのご利益があるそうです。
古くは、子種権現といわれた。
子供が授かるように、また安産でありますようにと、この霊石に祈れば霊験があるというので、今日でも参拝者が多い。
~案内板より~
《影向石(ようごういし)》
参道右側の石の祠と女神が降臨したという伝説の大岩「影向石」がある。
影向とは、神仏係の姿をとって、この世に現れること。
弘法大師が、弘仁11年(820年)この地に来て、奥の大岩あたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。
~案内板より~
滝尾神社のご利益
子宝・安産、良縁・縁結び、開運招福、酒造
出典:日光二荒山神社ホームページ http://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image_c.cgi?60:7435:0:0
特に書きたいこと
平安時代、弘仁11年(820年)弘法大師が滝尾神社とともに、稲荷神社も創建。
祭神は、倉稲魂神(稲荷大明神)。昭和41年9月に台風で流出したため、昭和43年に巴会により再建された。
3月25日が例祭。
5月25日の講社大祭には、多くの信者が集まる。
昔、滝尾上人が朝のお祖内を忘れると、稲荷の神が化けて出ては、催促したという伝説が残っている。
~案内板より~
周辺のおすすめスポット【滝尾高徳水神社】
出典:日光二荒山神社ホームページ http://www.futarasan.jp/event_sys.shtml?245
《滝尾高徳水神社(たきのおたかとくすいじんじゃ)》
この社は、奥吉野(奈良県吉野郡東吉野村)水の宗社「丹生川上神社」の御祭神「罔象女神」(みづはのめのかみ)の御分霊を祀り、天照大神の姉君として水に関する一切の御神徳を授けられた神であります。
この社は、ときの栃木県知事 横川信夫氏により昭和52年(1977年)11月26日県内藤原町高徳に創建されましたが、道路拡幅のため平成10年(1998年)6月27日この地に遷座され災害防止・開運の神としても崇敬されています。
~案内板より~
御祭神:罔象女大神 (みづはのめのおおかみ)
御神徳:災害防止、特に止雨、祈雨に昔から霊験があり、開運の守護
創建:昭和52年(1977年)11月26日
由緒:水は天地創造の肇より生命の根源であり、雨を降らせ、大地を潤し万物を生成化育し、万物の元となるが、一度激すれば洪水となり、人を呑みこみ人家を倒壊し、その災害は計り知れない。栃木県下のダム総数は三十有余に及び、水神様を祀り、その広大無辺の御神徳を称え、この地に造営される。
所在地:栃木県日光市山内 滝尾神社入り口
【滝尾神社】へのアクセス
所在地
〒321-1431
栃木県日光市山内2310−1
お問い合わせ先
TEL:0288‐54‐0535 (日光二荒山神社 社務所)
交通機関
【公共交通機関のご利用】
JR・東武日光線日光駅から東武バス中禅寺湖方面行き「神橋」下車、徒歩30分
【自動車のご利用】
「神橋」から約15分。滝尾神社のそばに駐車場有。但し、道が狭く車のすれ違いに要注意。
ホームページ
http://www.futarasan.jp/
マップ
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