市指定有形文化財!安房國一之宮【洲崎神社】とは
出典:じゃらん https://www.jalan.net/kankou/spt_12205ag2132051649/photo/?screenId=OUW3701
目次
安房國一之宮【洲崎神社】とは
安房國(あわこく)一ノ宮の洲崎神社。
千葉県館山市洲崎の御手洗山(みたらしやま)に鎮座。
御手洗山は標高110m、洪波万里・黒潮踊る太平洋を一望し、富士の霊峰、大島の御神火を指呼の間に望む風光明媚な山稜で、地元の人達には神社山として親しまれている。
当社は、式内社(大社)論社で、一宮とされたのは江戸時代で、旧社格は県社。
石橋山合戦に敗れ、安房へ逃れた源頼朝が戦勝祈願した神社。
当社は、東京湾の出入口を見下ろす場所であることから、古来、漁師にとっての漁業神、船乗りにとっての航海神であった。
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御由緒
当社は延喜式神名帳に「后神天比理乃咩命神社大 元名洲神」と記され、天太玉命の后神を祀る式内大社で、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称した。
宝暦三年(1753年)の「洲崎大明神由緒旧記」によると、神武天皇の御宇(ぎょう)、天富命(あめのとみのみこと)が御祖母神 天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)の奉持された御神鏡を神霊として、洲辺の美多良洲山(現:御手洗山)に祀られたことに始まる。
鎌倉時代の治承四年(1180年)安房に逃がれた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進、後に、妻 政子の安産を祈願している。
室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えている。
房総里見氏も当社を尊崇して、七代義弘が神領五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。
社宝である養老元年(717年)、万治2年(1659年)、宝暦3年の各縁起や御神体髪などのほか、江戸時代延宝年間の改築とされる神社本殿は、共に市指定有形文化財であり、神社の鎮座する御手洗山は洲崎神社自然林として県指定天然記念物となっている。
特に御手洗山の西斜面は、神社鎮座以来氏子の信仰が厚く、斧を入れたことのない自然林といわれている。
出典:GONZO SHIUTS http://www.gonzoshouts.com/place/7514/
御祭神
◆天比理乃咩命
安房神社 御祭神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神で、元の名を「洲ノ神」と称する。
相殿:天太玉命、天富命
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創建
神武天皇年間(紀元前660年~紀元前585年)
ご利益
安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄除開運・交通安全、また源頼朝公の故事に倣い、再起・再興の神様として信仰されている。
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御神石(ごしんせき)
説明板によると「御神石」は長さ2.5mで、石質は付近の岩石と異なります。
竜宮から洲崎大明神に奉納された2つの石のひとつとされ、もう1つは対岸の三浦半島に飛んで行ったと伝えられている。
三浦半島の「御神石」は浦賀の西にある安房口神社に安置されている。
安房口神社の石は先端に丸い窪みがあることから「阿形」、洲崎神社の石は口を閉じたような裂け目があることから「吽形」として、両者で東京湾の入り口を守る狛犬のように祀られている。
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御神輿の渡御(とぎょ)
祭礼は2月の初午と8月20日・21日の例大祭があり、共に文化庁選択記録保存・県指定無形民俗文化財の洲崎踊りが奉納される。
洲崎踊りは、鹿島踊りと弥勒踊りから成り、2つの踊りともに鹿島信仰を根底とした風流小歌踊系の芸能として、民俗的、芸能史的に貴重である。
8月の例大祭には勇壮な神輿の渡御や浜祈祷も行われる。
御神輿をもみながら、降りてくる階段は「厄払坂」と呼ばれ148段、傾斜30度の急坂である。
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扁額
拝殿に掲げられている「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額は、奥州白河藩主にして「寛政の改革」を断行した江戸幕府老中 松平定信の筆によるもの。
文化9年(1797年)、房総の沿岸警備を巡視した際に参詣、奉納されたといわれる。
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髄神門
宝永年間(1704年~1710年)に建てられたという髄神門から、標高110mの御手洗山の中腹に鎮座している社殿までは、148段という急勾配の石段を登らねばならない。
弓と矢を携え、剣を帯びた矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)像は明治3年(1872年)の作とされ、門守神(かどもりのかみ)と呼ばれる神社の神様を守る守護神である。
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鳥居と富士山
浜鳥居及び、富士見鳥居からの景色がおすすめで、特に浜鳥居中央に富士の霊峰が見え、時期により太陽が鳥居中央に沈み様は圧巻。
海側の「一の鳥居」からは、鳥居にすっぽりと収まるように富士山が望める。
出典:昭和観光 https://showa-express.com/kanko/%e6%b4%b2%e5%b4%8e%e7%a5%9e%e7%a4%be/
【洲崎神社】へのアクセス
所在地
〒294-0316 千葉県館山市洲崎1697
お問い合わせ先
TEL:04‐7154‐7377
交通機関
【公共交通機関のご利用】
JR東日本内房線 館山駅から
JRバス(洲崎線)で「洲の崎神社前」バス停下車徒歩5分 (乗車時間約30分)
【自動車のご利用】
富津館山道路 富浦ICから車で25分
ホームページ
http://www.sunosaki.info/
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