パワースポット!浅間神社の論社のひとつ「一宮浅間神社」を紹介!
出典:ぶらり寺社めぐり http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-cyubu/ichimiyaasama.html
目次
【一宮浅間神社】とは
当社は、山梨県西八代郡市川三郷町高田にある神社。
式内社(名神大社)論社で、旧社格は村社。
現在は南巨摩郡身延町にある若宮八幡神社の兼務神社である。
鎮座地は高田集落の南方、西八代台地の西北端に位置し、神社は古くは単に「一宮」や、「一ノ宮明神」「市川一の宮」などと称された。
甲斐国一宮は通説として笛吹市の浅間神社に当てられ、当社の「一宮」は旧市川郷のものとも考えられる。
当社から約500メートルほど離れた地に「二の宮」と称される弓削神社が鎮座するが、甲斐国二宮は笛吹市の美和神社とされているので、これも同様に市川郷の一宮であった当社に対しての「二の宮」の称であると考えられる。
御由緒
清和天皇の貞観6年(864年)の富士山大噴火を受けてその神意を慰めるため、翌貞観7年(865年)に勅命によって甲斐国八代郡に創建され、官社に列し、祝と祢宜が置かれたという。
延長2年(924年)に現在地に遷宮された。
河口浅間神社と笛吹市の浅間神社と共に、延喜式神名帳に名神大社として記載された浅間神社の論社のひとつとされている。
西面する表参道に添って建つ随神門には室町時代の作とされる木像が配され、流し造りの本殿では木花咲耶姫命を中心に瓊瓊杵命、彦火火出見命を配祀している。
中世には廃絶に近なったこともあったが、徳川時代は社領などの寄進が受け再興し、末社60余社に及んでいたという。
出典:ぶらり寺社めぐり http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-cyubu/ichimiyaasama.html
御祭神
主祭神:木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
相殿神:瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
創建
(伝)景行天皇年間
ご利益
安産・夫婦和合・家内安全、安寧平安
出典:ぶらり寺社めぐり http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-cyubu/ichimiyaasama.html
見どころ
生祠(せいし)
境内には県内十三ヶ所の生祠が確認されているうちの三人(荒井寄与兵衛顕道・依田十左得門安清・伴秋吉)が神と崇められ祀られている。
依田重左衛門安清の生祠
延享4年(1747年)の創建。
依田安清は当地の名主であった。
私財を投じて村を治め、享保3年(1718年)には、山口郡代と協力し高田村の水利を興し完成させた。
また、寛保2年(1742年)の大水害においては、一身を挺して全村の復興に務めた。
村人はこれを感謝し、延享4年、生前の依田安清を生祠に祀った。
依田安清はその4年後に没したという
出典:ぶらり寺社めぐり http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-cyubu/ichimiyaasama.html
荒井清兵衛顕道の生祠
安政4年、あるいは5年の創建。
荒井顕道は市川大門地方の代官であった。
安政元年(1854年)の大地震の時、高田村は一村全滅という大被害を受けていた。
これを見かね、幕府代官所の御用金を流用して村民を救ったが、このため幕府に咎められることとなった。
村人たちはこれに感謝し、浅間神社境内に生祠を建てて祀った。
木造の祠は老朽化によって朽ち果て、明治になって石祠になったが、現在は石柱に変えられている
出典:風に吹かれて~by ポー(paw) http://urgeful1.rssing.com/chan-2644764/all_p54.html
アクセス
所在地
〒409-3606 山梨県西八代郡市川三郷町高田字宮本3696
お問い合わせ先
TEL:055‐272-8405
交通機関
【公共交通機関のご利用】
東海旅客鉄道(JR東海)身延線 市川大門駅 (徒歩約12分)
【自動車のご利用】
中央自動車道甲府南ICより車で30分
中部横断自動車道増穂ICより車で10分
※無料駐車場有り
ホームページ
山梨県神社庁:http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/4022
※公式ホームページ無し
マップ
スポンサードリンク
関連記事
タグ:一宮浅間神社, 依田重左衛門安清の生祠, 河口浅間神社, 笛吹市の浅間神社, 荒井清兵衛顕道の生祠