パワースポット!諏訪の本宮「多祁御奈刀彌神社」について
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目次
諏訪の本宮「多祁御奈刀彌(タケミナトミ)神社」とは
「ま、参った。降参だ。殺さないでくれ。俺はここから一歩も出ない」
御名方乃神は建御雷乃男神との力競べに負けて、州羽(諏訪)の海へ逃げ込んだが、その地で捕まり、ここから出ない事を誓うのであった。
諏訪本宮、多祁御奈方弥神社へアクセス
ここに訪れるには、公共機関だと下浦駅まで汽車で訪れる事になる。
つまり、徳島県には電車は通っておらず、代わりに汽車(ディーゼル車)が鉄道を走っているのです。
下浦駅から1㎞先へ西へ進むと、古びた鳥居と多祁御奈方弥神社の神紋である鎌が交わった絵が掘った神輿置きの台座がある。
そこから更に、鳥居をくぐって約、280㍍の先に本殿の鳥居(大正10年)が建っている。
他とは異なる境内作りの建御奈方弥神社
これまでの神社とは違い、當(当)社の作りは特殊である。
先ず最初に眼に入るのは、左右に狛犬の代わりに置かれた石像人です。
出で立ちからして、シナ人か朝鮮人の様な風貌であるが、歴史を見ると百済とか三国志時代のモノとも読み取れる。
それは神代の時代、委国が今の朝鮮半半島に住んでおり、そのため日本式の興奮が半島の南部を中心に多く発掘されている。
しかし結局の所、この石像人が何者なのか?
明確に証明できるモノは現存しない。
更に奥へ進むと、藁を万遍なく垂らしてこしらえた注連縄がある。
こちらも、他の注連縄とは全く異なっている。
なにりも目を引くのは注連縄の真ん中には、ここの神紋である交差した鎌が編み込まれている。
そして更に、またやはりと言うべきか、社殿のイカワ(三角形になっている外壁)辺りに木彫りの交差した鎌の神紋がある。
交差した鎌の神紋は多祁御奈方弥の神を表す
通常なら、タケミカヅチの神との闘いを現すのだと、思われるが気になる事に、両者とも鎌を使った闘いをしていない。
タケミナカタの神は、大きな岩を持っており、タケミカヅチの神は、剣を持っている。
とてもではないが、両者が鎌を持つ描写がない。
更に、タケミカヅチの神が圧勝していたのに、この神紋は健闘を表している様に見える。
全くもって矛盾している。
ここで、最初に見た神紋思い出して欲しい。
交差した鎌の下に紐で結んである。
これで鎌を打ち合うのは無理がある。
即ち、この神紋は闘いを現すのでは無く、タケミナカタの神そのものを表しているのです。
2つの鎌は薙鎌であり、薙ぎ倒すのナギと、荒れ草原を凪の風で平定する意味がある。
つまりはこの『交差した鎌の神紋は、タケミナカタの神を表している』のであります。
因みに現在の社殿は亨保5年(1720)の建築物らしい。
そしての拝殿の前には参拝者を挟んで見守る様な形で、浪速狛犬が鎮座している。
社殿は無人ではあるが、無人のおみくじがあり、お金を入金口へ入れて引く仕組みになっています。
境内の目玉、力競石と椋の木
目玉と言えば、何と言っても力競石であり、ある人の話しによると、この石を指先でくるくる回していたようである。
後は、推定樹齢700年の椋の木がある。
こちらも神社で見かける木であり、春に花を咲かせて、秋になると黒紫色の実を熟させ、ムクドリがそれを求めてやってくる。
もちろん人も食べるため、非常に甘美と聞き及ぶ。
左近桜と右近橘
そして、本殿の3つ目の鳥居がある両端には、『左近の桜、右近の橘』が植えられています。
これは、『陰と陽』を表します。
もっと砕くと、『美と醜』
更に噛み砕くと『花と団子(果実)』になります。
桜は美しい華を咲かせますが、食べられる実が成る事はありません。(サクラボは江戸時代からですが、当時の気候や土地が合わず普及はしませんでした)
一変して、橘は食べられる実が品種改良により蜜柑などにする事が可能です。
そして更に、『花と団子(果実)』を別の例えに直すと『美と永遠』になります。
長野県諏訪大社の本宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%A4%A7%E7%A4%BE
さて、いよいよ。
諏訪大社の本宮である由縁でありますが、『信濃国(現:長野県)諏訪郡南方刀美神牡は、宝亀十年(七七九)に阿波国名方郡の諏訪大明神(当社を指す)を移遷した』としている。
また、タケミナカタの神は冒頭でも述べた様に、古事記の原文では、『州羽(諏訪)海へ逃げ込んだ』となっている。
長野県の説だと、『諏訪の湖であると想定している』が、湖と海では淡水と海水では明らかに違う。
如何に昔の人でも、海と湖を間違える事は考え難い。
しかしこれが阿波説だとガッテン説明が行くのです。
徳島県の現在主要地域は全て、海に沈んでおり、この地もその昔は海でした。
つまり、現在はのどかな田舎ですが、海に面していたのでとても栄えていたのです。
世界のどこを見ても、平均的に栄えるのは、港がある都市である。
それだけでは無く、父君の大国主神も、弟君の事代主神も阿波にいる。
大国主神は、阿南市長生(ながいけ)町の『八桙(やほこ)神社』に。
事代主神は、勝浦群勝浦町の『生夷(いくい)神社に祀られている。
そして、タケミナカタの妹である健嶋女祖命(たつしまめおやのみこと)を祀った神社、建嶋女祖命神社(たつしまめおやのみことじんじゃ)が徳島県小松島市中田町に鎮座している。
この4社とも平安時代の延喜式にはちゃんと記されている由緒正しい神社である。
つまりは、タケミナカタの神に親族である神々の神社が阿波に集まっているのです。
そして最後の建嶋女祖命は阿波に取って主要の神様に当たります。
多祁御奈刀彌神社の規模
さて當社について気になる事がある。
それは、全長280㍍の鳥居から本殿の鳥居の距離である。
こちらは、馬場通りと呼ばれ、馬の駐車場だったのであろう。
もしくは、列になった参拝者達の待機所になっていたのかも知れません。
パワースポット!諏訪の本宮「多祁御奈刀彌神社」についてまとめ
諏訪の本宮たる神社は、阿波に鎮座する『多祁御奈刀彌神社』にあり。
交差した鎌の神紋は、タケミナカタの神を表す。
シナ人か朝鮮半島人らしき、門番の石像人。
力競石と樹齢700年の椋。
左近の桜と右近の橘。
全長280㍍もある長い馬場通り。
そしてタケミナカタの神に縁(ゆかり)ある神々が近くに鎮座している。
余すことのない阿波の古社。
他とは違う魅力がいっぱいです。
アクセス
所在地
徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1
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