パワースポット!氣多大社の元宮「能登生国玉比古神社」を紹介
出典:神社探訪・狛犬見聞録 http://www.komainu.org/
目次
氣多大社の元宮【能登生国玉比古神社】とは
社伝によれば、祭神 大己貴神(おおなむち)が出雲国(現在の島根県東部)より所口(ところぐち/能登国(石川県)鹿島郡の港町。現在の七尾市の中心部。)の地に至り、人々を苦しめていた湖に棲む毒蛇を退治し当地に垂迹(すいじゃく)した。
第8代孝元(こうげん)天皇の治世に創祀されたと伝わる。
第10代崇神(すじん)天皇の御代に羽咋(はくい)の竹津浦に御祭神を分霊し、気多神社(現 氣多大社)が創祀された。
それから気多本宮と称するようになった。
当社は下記に記す「能登国の式内社」、「能登生国玉比古神社」論社三社の内の一社である。
- 能登生国玉比古神社 当社
- 能登生国玉比古神社 鹿島郡中能登町金丸セ35
- 能登部神社 鹿島郡中能登町能登部上ロ70
出典:ゆるり寺社巡り ~御朱印紀行~ http://yururi-goshuin.officialblog.jp/
御由緒
当社は、延喜式に見られる能登生国玉比古神社といわれ、孝元天皇(治世447年~503年)の創祀と伝わる古社である。
崇神天皇が当社の祭神を分霊し、羽咋郡竹津浦に勧請し気多(けた)神社としたために、当社を気多本宮と称した。
天正年間(1573年~1593年)に前田利家 旧社地 所口より現在の所口へ奉遷された。
明治5年(1872年)3月23日県社に列し、同39年(1906年)12月29日神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正12年神門及び拝殿を銅葺とし、昭和42年(1967年)より46年(1971年)に亘り社殿を大修理した。
出典:ゆるり寺社巡り ~御朱印紀行~ http://yururi-goshuin.officialblog.jp/
御祭神
御祭神:大己貴神
配 祀:素戔嗚尊(すさのおのみこと)、奇稻田姫命(くしなだおのひめのみこと)
合 祀:事代主神(ことしろぬしのかみ)、底筒男神(そこつつのおのみこと)、中筒男神(なかつつのおのみこと)、上筒男神(うわつつのおのみこと)、建御名方命(たけみなかたとみ)、多遲摩毛理命(たぢまもりのみこと)
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創建
(伝)孝元天皇(治世447年~503年)の治世
出典:偲ふ花 https://omouhana.com/
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アクセス
所在地
〒926-0814 石川県七尾市所口町ハ48
お問い合わせ先
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交通機関
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