流山市の文化財指定第一号に指定!駒木のお諏訪さま【諏訪神社】とは

流山市の文化財指定第一号に指定!駒木のお諏訪さま【諏訪神社】とは

出典:御朱印神社メモ https://jinjamemo.com/archives/post-13774.html

目次

駒木のお諏訪さまの【諏訪神社】とは

諏訪神社は、千葉県流山市駒木にある神社。

他の諏訪神社と区別するため、土地名をつけて、駒木諏訪神社とも呼ばれる。

当社の境内には「諏訪神社遺跡」と云う縄文時代後期の遺跡が発掘されている。

この事から縄文時代より人の居住があった事が分かっており、古くから当地が聖地であり、そうした聖地の上に当社が創建されたと推測できる。

本殿・幣殿・拝殿は、いずれも昭和55年(1980年)に流山市の文化財指定第一号に指定された。

御由緒

平安時代のはじめ大和国から天武天皇皇子 高市皇子(たけちのみこ)の後裔となる部族たちが、東へ新天地を求めこの地に移住し、信濃国諏訪大社より新しい土地の心のよりどころとして、御神額をいただいた。

これがここ諏訪神社の始まりと伝わる。

以来、諏訪神社は住民の信仰の中心となり、平成18年(2006年)で鎮座から1200年を迎えた。

約一万坪の境内に、うっそうと大樹が繁りその歴史を今に伝える。


出典:御朱印神社メモ https://jinjamemo.com/archives/post-13774.html

御祭神

健御名方富命 (たけみなかたとみのみこと)

創建

大同2年(807)年

諏訪神社の御利益

武運長久、交通安全、盛業繁栄、国土安寧、五穀豊穣 など


出典:御朱印神社メモ https://jinjamemo.com/archives/post-13774.html

諏訪神社見どころ

「源義家献馬」の像

源義家は、源頼義の長男で、「石清水八幡宮」(京都府八幡市)で元服したことから「八幡太郎」と称した。

関東圏の八幡信仰の神社の伝承にその名を見る事が多く、新興武士勢力の象徴とみなされ、義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていった。

平安時代後期、後三年の役が発生。

源義家(みなもとのよしいえ・八幡太郎)が、奥州へ向かう途中に当地を訪れたと伝わる。

義家は、当地一帯が馬の産地であった事から、当地で軍馬を集め、当社で戦勝祈願を行った。

義家は、清原氏を平定後、奥州から凱旋途中に当地を再訪し、当社に参拝し献馬をしたと伝えられる。

その伝承に基づいて作成された青銅像の作者は、「長崎平和祈念像」でも知られる昭和に活躍した日本を代表する美術家 北村西望(きたむらせいぼう)である。

西望は、文化勲章受章・文化功労者顕彰・紺綬褒章などを受章している。


出典:じゃらん http://www.jalan.net/yad344295/blog/entry0002952902.html

御神水

拝殿の手前左手にお水取りができるエリアが整備されている。

天保12年(1840年)江戸の文人 友田次寛が「神垣の 杉のうつろの 真清水は つきぬ恵みの ためしなるらむ」御神水の素晴らしさについて詠んでいる。

整備工事を行った際に、水質検査を専門所に依頼したところ「極めて良質」との結果が出ている。

煮沸推奨の御神水が多い中、飲水に向いている御神水というのは素晴らしく、現在では専用ケース(ひょうたん型)で頒布される。


出典:じゃらん http://www.jalan.net/yad344295/blog/entry0002952902.html

【諏訪神社】へのアクセス

所在地

〒270-0132 千葉県流山市駒木655

お問い合わせ先

TEL:04‐7154‐7377

交通機関

【公共交通機関のご利用】

東武野田線 豊四季駅 徒歩5分

【公共交通機関のご利用】

流山インターから常磐自動車道 経由 約20分

※駐車場なし(近くにコインパーキング有り)

ホームページ

http://www.suwano-mori.com/

マップ


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