「洲の神」を祀る!日光二荒神社の別社【洲宮神社】とは

「洲の神」を祀る!日光二荒神社の別社【洲宮神社】とは

出典:TAKASHIの御朱印めぐり~2nd season~ https://ameblo.jp/takashi-since2017/entry-12304806454.html

目次

日光二荒神社の別社【洲宮神社】とは

天富命(あめのとみのみこと)(安房神社下の宮の祭神)は四国の忌部氏(いんべうじ)を率いて布良の駒ヶ崎に上陸し、天太玉命の孫神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)(安房神社本宮の祭神)を男神山に安置、天太玉命の妃神である天比理刀咩命(洲宮神社の祭神)を女神山に安置し房州を開拓した。

明治5年(1872年)には、教部省が洲宮神社を式内社と定めたが、翌6年(1873年)に洲崎神社を式内社と覆し式内社論争に発展。

但し、この決定の論拠はあまり明白でないとされており、洲宮神社では、文永10年(1273年)に発生した火災により古書等が焼失したため、式内社とは認知されなかった主張した。

その後、洲崎神社と同じく県社に列格されていることから、少なくとも同等の由緒と明治政府が見ていたと思われる。

『金丸家累代鑑』(慶長2年(1597年)成立)の記述などから、洲宮神社と洲崎神社は「洲の神」を祀る2社一体の神社で、洲崎神社が「洲の神」を祀る一宮、洲宮神社が「洲の神」を祀る二宮とされたとする説や洲崎神社が拝所、洲宮神社が奥宮であり、二社は一体であるとする見解もある。

安房国二宮としての確実な史料は知られないが、鶴谷八幡宮(安房国総社)への神輿渡御(みこしとぎょ)では、洲宮神社は「安房二ノ宮洲宮神社」の高張りを掲げ、安房神社の次順で斎場へ入御する。

鶴谷八幡宮で行われる安房国司祭(やわたんまち)では、安房神社の神輿に次いで「安房二ノ宮洲宮神社」の幟を掲げ洲宮神社の神輿が入祭している。


出典:南房総観光ポータルサイト 房総タウン.com http://bosotown.com/archives/18914

御祭神

◆天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)

安房神社祭神 天太玉命(阿波から移住し安房を開いたと伝わる忌部一族の祖神)の后神で、元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称したとする。

相殿:天鈿女命(あめのうずめのみこと)、天富命(天太玉命の孫。阿波忌部(あわのいんべ)を率いて安房を開拓した)


出典:東京湾観光情報局 http://tokyo-bay.biz/pref-chiba/city-tateyama/ch0285/

創建

(伝)神武天皇元年(紀元前660年)

御利益

海上・交通安全、五穀豊穣・商売繁盛

洲宮神社の文化財

昭和44年(1969年)2月21日指定。

有形文化財

  • 木造天部像

南北朝期から室町時代前期の作。

神仏習合時代の四天王か二天王のうちの一体、または毘沙門天像とされる。

  • 洲宮神社縁起

洲宮神社の縁起を記した文書。

成立年代は不明だが、『古語拾遺』(ごごしゅうい)からの引用があり、平安時代以降とされる。

本文のうちの3分の1は、失われた『安房国風土記』と推定されている。

  • 祭祀用土製模造品

古墳時代後期の祭具。

旧社地とされる魚尾山(とおやま)から出土。

無形民俗文化財

  • 洲宮神社 御田植神事(みたうえしんじ)

毎年元日の朝に豊作を願って行われる予祝儀礼(よしゅくぎれい-1年間の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事)。


出典:TATEYAMA-CITY http://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page012503.html

【洲宮神社】へのアクセス

所在地

〒294-0223 千葉県館山市洲宮921

お問い合わせ先

TEL:0470‐22‐2000(館山市観光協会)

交通機関

【公共交通機関のご利用】

館山駅(JR内房線)から、JRバス(神戸経由・安房白浜行き)で「洲の宮」バス停下車 (下車後徒歩2分)

【自動車のご利用】

富津館山道路 富浦ICから国道127号線→国道410号線経由で約21分

ホームページ

公式ページなし

マップ


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