真言宗智山派に属する寺院!崖の観音と呼ばれる【大福寺】とは
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目次
崖の観音と呼ばれる【大福寺】とは
普門院 船形山(せんぎょうさん) 大福寺と称し、真言宗智山派に属する寺院である。
境内の船形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、地元民や近隣の人たちから信心され参拝されている。
この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩は、養老元年(717年)に行基(ぎょうき/668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に彫刻したとされ、その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと云われている。
承応2年(1653年)2月に観音堂が火災にあい、朱印・什宝・伝記等すべて失れ、正徳5年(1715年)に観音堂が再建されたが、明治43年の大豪雨による土砂崩れにあい本堂・庭園とも倒壊した。
さらに大正12年(1923年)の大震災で観音堂、本堂が倒壊し、御堂は大正14年(1925年)に、本堂は昭和元年(1926年)に再建された。
その後、海風などの影響も大きく経年劣化による観音堂大改修を、1年半かけ行い、平成28年(2016年)7月に無事完成し現在に至っている。
御本尊
大日如来(だいにちにょらい)
十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
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創建
717年(養老元年)
行基 伝
御神託
様々な災難・病気平癒・財福授与・勝利など
出典:東京湾観光情報局 http://tokyo-bay.biz/pref-chiba/city-minamiboso/ch0058/
大福寺と諏訪神社
諏訪神社は、崖観音との相乗効果で、パワースポットと呼ばれ、隣接する大福寺と諏訪神社の両方にお参りすると、願い事が叶うと云われていたが、残念なことに、2017年3月放火により本殿と拝殿が全焼してしまった。
諏訪神社は、大福寺とともに行基が開いたと伝えられ、信州長野の諏訪大社を勧請した。
本殿と拝殿は関東大震災で倒壊後、1927年(昭和2年)に再建された。
拝殿の向拝部分の竜の彫り物は安房の名工・後藤義光の弟子、後藤義信の作とされるが、ご神体の鏡などとともに焼失。
出典:旅満.com http://tabi-man.com/odekake/powerspots/chiba-powerspots-4011/
大福寺のおすすめ
延命地蔵尊
本堂脇にある「延命地蔵尊」は、パワースポットとされ、このお地蔵様の写真を撮って他の人に見せると、見た人にもご利益があると云われる。
「延命地蔵尊」は、生まれた子の命を守り、その寿命を延ばすとされ、“無病息災延命長寿”のご利益があるといわれている。
出典:おでかけ部 http://www.odekakebu.com/entry/gakekannon
摩崖仏の御本尊「十一面観世音菩薩」
観音堂内の正面奥には、摩崖仏の御本尊「十一面観世音菩薩」が祀られている。
像高131cmの磨崖仏は舟形の光背を背に二重蓮華座の上に立っている。
摩耗が激しいため、表情は分かりづらくなってしまっているが、頭上に菩薩面を刻み、左手に水瓶(すいびょう)を持つ様子や、着衣のひだなどが確認できる。
平安時代中頃 養老元年(717年)に行基が彫刻したとされ、現存する千葉県内最古の磨崖仏と云われる。
出典:じゃらん http://www.jalan.net/yad344295/blog/entry0002952902.html
観音堂の天井画
総工費8,800万円で全面改修され、2016(平成28年)年7月に拝観可能となった観音堂内では、南房総の植物を中心に描かれた色鮮やかな114枚の奉納天井絵に目を奪われる。
114枚の天井画のうち34枚は、富津市在住の仏教画家・染川英輔氏が崖観音のために描いたもの。
観音堂の欄間には十二支の彫り物があり、こちらも見応えがある。
出典:じゃらん http://www.jalan.net/yad344295/blog/entry0002952902.html
【大福寺】へのアクセス
所在地
〒294-0056 千葉県館山市船形835
お問い合わせ先
TEL:0470‐27‐2247
交通機関
【公共交通機関のご利用】
JR内房線 那古船形駅(なこふなかたえき)から徒歩で15分
【自動車のご利用】
富浦ICから車で5分
ホームページ
http://www.gakekannon.jp/
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